2010年08月25日

No.790 『進歩の保証はあるか』

   過去半世紀の間に、各種の知識はそれまでに例を見ぬ速さで拡大したけれども、人類の先史時代に関する知識の増進は、とりわけ顕著であった。 『野蛮から文明への長い途』と題するFay-Cooper Coleの小著は、この過程を知的なすべての少年少女の興味を引きそうな仕方で描いている。 人類史のこのような鳥瞰は、われわれへの有益な刺激となる。 つまりそれは人類を国民的人種的な偏見の歪んだレンズを通さぬ、まとまった全体として考察する。 それは進歩の退行を克服し、新技術が文明生活の新しい可能性を開く姿をわれわれに示す。 この長期的な楽観論はおそらく間違っていないし、われわれは現在のような沈滞と困難の時期にこの種の展望から正当な慰藉を受け取る。 私が先に名を挙げた書物は、「われわれは今までの達成から生まれた自信をもって、未来に直面しよう」という言葉で締め括られている。 遠い未来に関するかぎり、この信念はおそらく正しいだろう。 しかしもっと近い未来、たとえば次の二百年間に話しを限れば、このような自信を歴史は保証してはいない。 仮に諸君が紀元後400年のローマ帝国に生きていて、未来予知の能力を持っていたとしたならば、諸君が見通したものは、当時文明が高度の発展をとげていた地域全体を通じて、その光輝がかげり始め、次の2世紀の間に衰滅して、その状態から完全に立ち直るには、その後八百年を要する姿だっただろう。 この種の事例はこれ一つにとどまらない。 蛮族の侵入によって、エジプトとバビロニアの両文明は滅亡し、ミノス文明は破壊された。 今日の中近東は総じて、二千年前よりも文明が後退している。 外敵に滅ぼされなかった文明は、往々にして内部的退廃によって衰滅する。 今日では世界は工業制度によって支配される一つの統一体になった。 この工業制度は今では世界のすべての大国に浸透して、主要な経済資源の支配権を獲得した。 万一この文明が衰滅すると、それが外部から再興される可能性はもはや存しないし、それが仲間うちの戦争で共倒れしても、その廃墟に文明を築く新しい種族は存在しない。 これがわれわれの時代の新事実であり、この点では過去の歴史からの類推は多少危なっかしい。 われわれは日常生活面で、これまで全面的に科学的知識と技術に依拠してきた以上、今後も同じ道を歩み続けざるをえない。 もしもわれわれが自らの社会生活を原始的蛮行の支配に委ねるならば、この野蛮が日常生活を破壊して全人類を破滅させるだろう。 われわれが野蛮な過去から引き継いだ非合理な要素を、讃め上げる傾向が現在は強いが、この種の要素が科学的技術とは結びつかない以上、本気で非合理を持ち上げる連中はすべからく国民の大部分の餓死の危険を冒しても、あえて工業制度を廃絶して弓矢の昔にもどるべきである。 この抜き差しならぬ選択に直面したくなければ、われわれは自然力の支配の面のみならず、自らの感情面でも文明的になる必要がある。 
B.Russell 『人生についての断章』 (部分抜粋) 転用者は必ず原典を確認のこと!





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posted by Vigorous at 21:04| 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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