2010年06月09日

No.717 『記号論的分析の限界』

   人間世界の 「意味」 の秩序が言語というものによって分節されているということは、現実の世界が総じて欲望相関的に分節された前言術的な意味の世界であるということを土台としてはじめて成立する。 哲学的には、欲望やエロスの動きが関係するという形式性を分節するのであって、つねに欲望が関係に先行するのです。 
  実現的企投に発する他者との世界了解の共有ということが、発語することの基本的 「動機」 であり、またそれが 「現実言語」 の 「企投的意味」 の集合的な痕跡 (積み重なり) として、言語の 「一般的意味」(辞書的意味) が成り立っているのです。 言語の 「意味」 という概念を考察しようとするとき、言語学者たちは例外なく 「語」 の 「一般意味」 の形式分析を徹底しようとしますが、そこから言語の 「意味」 の本質を取り出すことはけっしてできません。 『哲学探究』 において、ヴィトゲンシュタインが指摘しようとしているのはこの一事です。 
  言語の意味の本質を 「一般意味」 の分析、すなわち言語の記号論的分析によって行おうとする試みは、必然的に、原理的に解き得ないさまざまな 「言語の謎」 を生み出し続けるというところにゆきつくのです。 
  実存的な関係企投が言語の 「意味」 の基底的本質であり、記号としての言語の 「意味」 はそれを根拠として成立しているからです。 それはちょうど 「貨幣」 の謎が貨幣の価値自体をいくら分析しても理解できないのと同じです。 貨幣は集合的な信憑のシステムとしてはじめてその実効性をもつのですが、それを支える本質条件は、貨幣の記号論的分析だけからではけっして捉えることができません。 
竹田青嗣 『現象学は《思考の原理》である』





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posted by Vigorous at 21:38| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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