2010年06月06日

No.714 『普遍的な人類愛は可能か』

   なぜ、普遍的な人類愛は不可能なのか? その困難は、技術的・経験的な問題ではない (「そんなにたくさんの人をいっぺんに愛せないよ」、という問題ではない) 。 それは原理的な問題だ。 「私は人類すべてを愛している」 という命題を考えてみれば、このことは直ちに理解できる。 この命題は、 「私は誰も愛していない」 ということと同じことではないか。 つまり、この命題は無内容である。 それならば、 「私はあなた (たちすべて) を愛している」 という命題は、どのような場合に、実質的な内容をもつものに転換することができるのか。 この命題が実質をもつのは二つの場合である。 
  第一に、私が誰か特定の人を憎んでいる場合に、命題に何がしかの内容が宿る。 その特定の人 (たち) への憎悪の反作用として、そうでないすべての人々を (相対的には) 愛している、ということになるのだ。 したがって、 「私があなた (たちすべて) を愛している」 という命題は、愛よりも、むしろ憎悪をこそ表現しているのだ。 「私は (あなたがたではない) あいつらを憎んでいる」 言い換えれば、 「私はあなた (たちすべて) を愛している」 という全称命題の真実は、 「私が憎んでいる人が (少なくとも一人は) 存在する」 という特称命題だということになる。  
  第二の場合は、私が、あなた以外のすべての人に対して無関心なときである。 逆説的なことに、 「私はあなた (たちすべて) を愛している」 が意味をもつためには、 「私はあなた (たちすべて) を愛しているわけではない」 という部分否定 (全称命題の否定) が成り立っていなくてはならない。 したがって、どちらの場合も、普遍的な愛は不可能だということになる。 それは、積極的な憎悪もしくは消極的な無関心を基礎にしてのみ、仮初めの実現をみるのである。 
大澤真幸 『逆接の民主主義』





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posted by Vigorous at 18:27| 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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