2010年05月26日

No.705 『作品と「ほんとう」』

   近代社会では、若者は、物心ついて、音楽とか詩とかその他の表現作品に出会い、感動を受け、夢中になってそれにのめり込む、といったことが起こる。 そういう場面では精神にとって重要なことが起こっている。 つまり、ちょうど初恋においてそうであるように、ここで、人間の 「内的なロマン」 のはじめの結晶作用が生じているのだ。 
  たとえば何か素晴らしい作品に出会って感動するとき、若者はそこに、何か普遍的な 「よい」 ものが作者の 「個性 (その人間の美質や才能)」 を通じて現れている、という直感を持つ。 
だが、表現行為はいったん成し遂げられると、 「作品」 として個体から自律し、他者の 「評価」 にさらされる。 表現行為が一つの 「作品」 となるとは、つまり、その 「よしあし (優劣)」 が他者たちによって評価され、普遍性の領域に投げられることを意味する。 一般の評価の前にさらされることで、 「作品」 は個性の本質の表現としてはいわば 「消失」 してしまう。 それでもなお、よい 「表現=作品」 を作り出したいという欲望は、多くの若者にとって、 「ほんもの」 への欲求の情熱の源泉となる。 それは必ずしも芸術的な領域だけに限らない。 若者がたとえば 「ほんとうのロック」 を作りたいとか、 「ほんものの料理人」 になりたいとか、あるいはまた 「ほんとうの教育」 を作り出したいといった情熱にとらえられるとき、そこではロマン的 「憧憬」 の本質的な構造が現れている。 近代社会では、人々のこのような 「ほんもの」 への希求に支えられて、さまざまな営みのゲームが止むことなく現れ出る。 
  「正義のほんとう」の弱点は、個人が自分の理想に固執し、自らの理想を開かれた承認ゲームに委ねようとしない、という点にあるにすぎない。 もし人が自らの考えを、特定の理想に固執せず、人々の一般福祉に定位し、実力による闘争によることなく、 「思想」 の事そのものゲームに委ねるなら、 「正義のほんとう」 も普遍性をうる可能性をもっている。 
  ヘーゲルによれば、ここに人間の個性と普遍性との 「統一」 があり、 「かかる統一が真実の仕事であり、そうして真実の仕事が事そのものである」 とされる。 
竹田青嗣 『人間の未来』





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posted by Vigorous at 20:34| 教育、心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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