2010年05月18日

No.699 『サクセスゲーム』

   人間の欲望は、 「自己価値」 の確証を基礎としており、そのため、 「他者が欲望するものを欲望する」 という社会的欲望の形をとる。 つまり、 「サクセスゲーム」 における 「成功」(承認) は、 「誰にも受け入れられ、誰もが欲するもの」 の一般価値となる。 だが、 「恋愛」 や 「正義」 の承認ゲームが、他者の関係的承認を必要とするのに対して、 「サクセスゲーム」 は、近代社会の資本主義的な競争ゲームであり、ちょうど 「ギャンブル」 が、生活時間のプロセスをスキップしてその結果だけを手に入れるバイパスゲームであるように、 「サクセスゲーム」 も、人間的価値の関係的承認をスキップして、協議の結果だけで 「承認」 のアイテムを手に入れる。 ここでは、人間的価値がゲームの結果を決めるのではなく、ゲームの成功と不成功という結果が、人間の 「価値」 として承認される。 「成功のほんとう」 における承認の実績は、人間的な価値への賞賛であるより、しばしば、獲得された報償への 「驚嘆」 「羨望」 「嫉視」 の感情である。 
  だから、 「サクセスゲーム」 はしばしば手段を選ばず、人間の関係的価値の承認を必要としないゼロサムゲームの様相を呈する。 「ゼロサムゲーム」 から脱落した多数者は、このゲームを統制しているものは、本質的な人間的 「価値」 ではなく、単にゲームのシステムが作り出す 「偶然性」 の戯れにすぎないというリアリティをもつ。 「成功のほんとう」 は、 「自由」 と 「承認」 とを真の他者の 「承認」 なしに勝ち取ろうとする誘惑に満ちたゲームである。 しかし、ここにあるのは、一部の 「成功者」 と多数の 「敗者」 をオートマチックに生み出す運命の神の戯れの結果に過ぎず、そこで得られる 「成功」 と 「自由」 は、本質的には人間的価値の 「ほんとう」 ではない。 
  ヘーゲルによれば、これらの 「ほんとう」 のアイテムは、本質的に、関係的な承認の契機を欠いており、そのために真の意味での人間的 「自由」 の実現につながらない。 そこでヘーゲルは近代人の 「ほんとう」 の最後の範型として、 「事そのもの」 の概念を提示する。 
竹田青嗣 『人間の未来』





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posted by Vigorous at 20:21| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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