「イロニー」 は、この社会の矛盾を深く知っている。 しかし、一切は相対的であるという理論によって自分を支えているから、矛盾を克服する 「原理」 を見出すことはできない。 このため 「イロニー」 は、現実に対する否定的・退行的・皮肉的・逃走的態度をとる。 その態度の本質は、論理相対主義を最大限に活用して社会の矛盾を批判しつつ、しかしそれぞれに距離をとって 「精神の内的自由」 を確保することにある。 (中略)
道徳の思想は、まず一つの理想理念を思い描き、この理想と引き比べて現実を評価し、そしてこのあるべき世界にへ向かって、自分と他者の行為を促す。 マルクス主義は、 「唯一の正しい世界観」 を標榜し、国家と権力の死滅によって人間にとっての 「真の自由の国」 が訪れると考えた。 しかしマルクス主義は自らの 「理想理念」 を絶対化し、そこから現れた社会主義国家は、苛烈なイデオロギー闘争によって、この理念に同じない人々を 「悪」 なる存在として抹殺 (=粛清) するような絶対権力を生み出した。
ポストモダン思想は、マルクス主義の 「イデオロギー」 とその権力の絶対的な 「正しさ」 の信念を相対化することにその思想の全精力を傾けた。 つまりそれは 「イロニー」 の思想だった。 しかし、ポストモダン思想は社会の矛盾を深く知ってはいるが、一切は相対的であるという論理によってこれを否定することしかできず、この矛盾を克復する 「原理」 を見出して先に進むことができなかった。
イロニー的相対主義は、価値の多数性を所与の事実と考え、したがって普遍的なものはどこにも存在しないと宣言する。 それに対して 「良心」 は普遍的な思考を模索する。 そして価値の多数性は、精神の自由にとって本質的なものだが、それは自由の相互承認ゲームが十全に成立したときにはじめて可能であると考えるのである。
竹田青嗣 『人間の未来』
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