2010年03月17日

No.659 『理性の狡智と偶有性』

   歴史を捉えるということは、常に、後からの視点を前提にしている。 歴史は、必然的に勝者の歴史であるほかない。 ここで 「勝者」 とは、後からの視点、最後の審判の視点から、肯定的に承認されている者という意味である。 後からの視点で捉えたとき、歴史は、 「ここ」 へと至る必然の連鎖として立ち現れることになる。 
  事後において出来事を、 「すでにあったこと」 として捉える視点からは、どうしても、出来事の連鎖は、自然で有機的なものとして、つまりは必然性を有するものとして現れるほかない、ということである。 ヘーゲルの 「理性の狡智」 のからくりも、この点にこそある。 理性が、初めから目的を決めておいて、人間の活動をあれこれと調整しているわけではない。 そうではなくて、事後に視点を設定した時、まるで、それ以前の出来事が最終的な地点を目的として連なっているように見えてくるのだ。 個々の出来事の意味は、事後的に与えられているのである。 
  事後の視点にとっては、歴史は、 「ここ」 へと至る必然の連鎖だが、渦中にあっては、つまり歴史の過程に参加していた者にとっては、それは必然とはほど遠い。 そこでは、 「他でもありえた」 中にあって、 「これ」 が実現し、また選ばれていく、連続だったのだ。 後からの歴史の中には登録されることがない、 「他でもありえた」 という可能性、こうした可能性に荷担した人々、こうした可能性の中でしか意味を与えられない人々、これが歴史の敗者である。 偶有性は事後の視点からは抹殺されてしまうので、ただ、その地点に回帰するということの反復によってしか回復しえないのだ。 とすれば、通常の歴史 (勝者の歴史) とは異なる、もう一つの歴史 (敗者を勝者として救済しなおすような歴史) がありうるのではないか。 
  歴史は、勝者の陰にある偶有性を見出す方法だ。 偶有性が、単に偶有的なものである限りで、勝者は勝者になる。 それが挫折し、藻屑と消えるおかげで、勝者は勝者になったのだ。 偶有性を発掘する方法こそが 「反復」 である。 
大澤真幸 『逆接の民主主義』





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posted by Vigorous at 21:26| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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