2010年03月12日

No.656 『言語の謎』

   言語のシステムは貨幣のような集合的記号システムと似ているけれど本質的な違いをもちます。 貨幣のシステムは、たとえば価値記号である貨幣の 「千円」 の表示は、まさしくぴったり 「千円」 の交換価値を表現し、そこにはなんのズレもありません。 ところがある言語記号が表現するのはその語の 「一般意味」 であり、人はこの 「一般意味」 を用いて、それ以上の 「企投的意味」 を他者に投げかけます。 受け取るほうも同じで、 「一般意味」 を手がかりに 「企投的意味」 をつかもうとします。 要するに、言語の意味のシステム (体系) は、つねに一般的規定性を 「超え出る」 場所をめがけて使用されるのです。 これが、言語の 「意味」 がつねに多義的に現れ、決定不可能性という現象を表し、規則の規定性が曖昧となる本質的理由です。 
  ヴィトゲンシュタインは、言語は、その他の記号システム (たとえば貨幣) のように、安定した一義的規定性をもたないということ、それが言語の本質であることを直観していたのですが、それを論理的に解明することができなかったため、この規定不可能性を 「言語ゲームの束」 という言い方で表現しました。 ヴィトゲンシュタインの言語論は、 「言語の謎」 の現象を積み重ねていくように進み、さまざまな謎の諸相を徹底的に取り出しているので、ヴィトゲンシュタインが 「言語の謎」 の本質をつかんでいたかのように考え、ヴィトゲンシュタインのテクストの森から、ヴィトゲンシュタイン的奥義を取り出そうとするような議論がいまでも絶えません。 しかし、ヴィトゲンシュタインがどこまで進んだか、またどこに限界を持っていたかは明らかです。 
竹田青嗣 『現象学は《思考の原理》である』





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posted by Vigorous at 23:08| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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