2010年03月05日

No.651 『人倫国家』

   ヘーゲルはすでにイギリスの資本主義の展開を見ており、市民社会 (資本主義社会) の問題点を正確に見抜いていた。 
  市民社会は一般に万人の 「自由」 を開放する。 しかしこのことで、社会は、いわば 「私利私欲」 がせめぎあう 「ゼロサムゲーム」 としての 「欲望ゲーム」 となる。 市民社会の 「法」 が保障する自由の相互承認とは、単に個人の人権の確保といったことを超えて、各人の欲望の自由な追求の一般的承認を意味するからだ。 その結果は、放埓な欲望の自由競争であり、そこから富の格差の拡大、さらにはそれに伴うさまざまな社会的矛盾の噴出が生じる。 
  ここでは、消費と享受の欲望は果てしなく拡大され、すべての社会生産が分業のシステムの中に巻き込まれる。 このため、土地に依存する最低限の生活すらできない人間が続出し、貧民問題が発生する。 人間の心は、この過酷な生存競争の中で退廃する。 これらのことが、市民社会が自由を相互承認し、万人の享受の欲望を開放したことの必然的な結果として生じる。 そうヘーゲルは言う。 (中略) 
  欲望の普遍的な開放は、単に政治的な人権の開放によるのではなく、本質的に、市民社会における自由市場経済というシステムによって支えられている。 新しい経済システムは諸刃の剣であって、それは富を大きく増大させ、人々の 「享受の欲望」 を開放するが、同時に、格差、貧困、欲望の果てしなさや偏り、そこから現れる強欲、欺瞞、嫉妬、傲慢といった、市民社会以前にはごく一部の人間しか知らなかった欲望の狂躁が現れ出るのである。 
  このために、この市民社会 (近代社会) を廃棄することで、人間はもとの自然で純朴な本性に立ち戻れるかもしれないと夢想する人々が出てくる (『人間不平等起源論』のルソーはその典型である) 。 だがもちろん、実際にそうなれば財の希少性が復活し、生存の不安にもとづく普遍闘争が生じ、そしてもう一度人類は専制支配のくびきにつながれることになるだろう。 
  要するに、ヘーゲルは、すでに当時の市民社会の状況のうちに、現在の資本主義社会が生み出す矛盾の本質を、きわめて正確につかんでいた。 そこでヘーゲルは、この分裂を調停する原理として 「人倫国家」 の概念を提唱する。 (中略) 
  自由な欲望ゲームを廃棄し、もとの自然な社会に戻ることで矛盾を克服することはできない。 それは、 「自由」 そのものを不可能にするからである。 この問題の解決は市民社会の欲望ゲームをつねに 「人倫」 の原理によって調停すること以外にない。 そしてこの役割を果たすのが 「人倫国家」 である。 
竹田青嗣 『人間の未来』





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posted by Vigorous at 22:57| 指導者、政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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