2010年03月04日

No.650 『子供は幸福であるべきか』

   子供を幸福にすることは容易である。 要するに愛情、良識、それに熱意があれば、だれにでもそれは可能である。 にもかかわらず私は絶えず友人仲間から、子供を幸福に育てると成人後の彼らを台無しにする、と指摘されてきた。 彼らインテリは、この世が酷薄な舞台だから、幸福を肌で体験せず、したがってそれらを味わってみたいとも思わぬ人間しかそれに耐えられないと言い、他方で世間の一般人は、自分が現にあるような人物になれたのはけっして幼時の幸福のおかげではないと語る。 つまり自分の今日あるのは、それと逆に厳しい規律と世間で揉まれた厳しい体験、刻苦勉励の努力の賜物なのだと彼は語る。 こう語る人間の言葉に嘘はない。 間違いなく彼自身はこの種の方法で、今日の彼自身を築いたはずである。 ただこの体験から、ただちにこの方法の正しさが立証されるかという点は、彼自身が考えるほど確実ではない。 サモア島人のように、子供の時期いや青年期でさえ幸福に包まれていると伝えられる人間は、現に文明に何一つ貢献しなかった、と指摘するにちがいない。 だからわれわれはもしも一人残らず幸福だったならば、たちまち豚の境遇に落ち込むに決まっている、と彼は言う。 どうやら彼の確信によれば、豚は知的な人間よりも、はるかに多い幸福量を享受しているらしい。 子供を幸福にすることは、彼を幸福にすることよりもはるかに易しいし、現にこの方法は、これまでも何代かにわたる教育専門家の手で磨きをかけられてきた。 しかしそれで万事うまく行くならば、天才は雨後の竹の子のように排出したはずで、the Dothebo-ys Hallの卒業生が学問芸術の分野で世間をリードするはずであった。 不幸な人間が、その難儀を乗り越えて偉大な業績を達成した例外的な事例においてもたいていの場合、その業績はそれが彼にとって現実からの逃避であるという事実によって、多少の歪みを受けるものだ。 必ずと言えないまでも、大部分の事例において、この逃避的特質はこの作品に逞しい健全な感覚を帯びさせない。 その上、偉大な業績は、有益であると同程度に有害である場合が多い。 明らかにナポレオンが幼時に貧困で屈辱的な体験を味わわなかったならば、あれほどの家系崇拝や好戦的気性は生まれなかったと思われる。 多くの偉人の実際活動や理論に見られる残酷な要素は、彼らの経歴がそれと自覚されぬまま、その幼時に嘗めた不幸に対する、世間への復讐に他ならぬという事実に由来する。 創造的衝動自体は、個人的苦労によってのみ阻害されて退化する。 少なくとも私はそう確信する。 
B.Russell 『人生についての断章』 (部分抜粋) 転用者は必ず原典を確認のこと!





検索用kwd:バートランド・ラッセル
posted by Vigorous at 21:37| 教育、心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ



注意
◆ このブログの内容は引用が中心ですが、知識の切り売りを目的としたものではなく、投稿者の備忘録として作成されています。皆さんは、ここに書かれた引用のみで満足することなく、なるべく原典に触れる習慣をつけてください。
◆ このブログでは、投稿者が独自に調査したデータや、知人から伝え聞いたエピソードなどが掲載されることがありますが、そのまま受け売りにせず、皆さん自身が事実関係を調査し、記事の真偽を見極めることができるように努力してください。
◆ ここは金言や名言を羅列することを目的にしたサイトではありません。どんな金言や名言も、羅列したとたんにただの展示物になってしまいます。長い引用も短い引用も、じっくり噛み締めて味わい、あなたの財産にしてください。アーカイブも一度にすべて読むのではなく、毎日少しずつ読むようにすると良いでしょう。



QRコード

リンク集
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。