2010年03月01日

No.647 『「前言述的な」 意味と感覚』

   どれほど単純に見える言語行為でも、必ず 「一般意味」 を利用して、そのつどの各自的な 「意」 の投げかけあい (関係企投) 、を行っている。 われわれが言語の 「意味」 というとき、しばしば 「語」 のもつ 「一般意味」 と、それを媒介とする言語行為における 「企投的意味」 とを混同している。 現代言語理論における 「言語の謎」 は、たいていこの二つの 「意味」 を混同することから生じていました。 この 「意味」 の両義性を明確に区別することで、われわれははじめて、言語のより本質的な問題の探求へと進むことができます。 
   「一般意味」 と 「企投的意味」 は、ソシュールでは、ラングとパロールの二重性に対応します。 時間的な先行関係としては、語の一般規則が確定されていなければ、われわれはそれを使って発語すること、すなわち言語的な 「関係企投」 を行うことができない。 しかし、論理的な先行関係としては、発語行為の積み重なり、その集合的な 「痕跡」 が語の一般意味を形成するので、 「企投的意味 (パロール)」 が 「一般意味 (ラング)」 の形成の根拠です。 
  別の例で言えば、貨幣はあくまで交換の道具であってその根拠ではありえない。 そもそも交換の必要から貨幣は現れたのであって、その意味で交換が貨幣の動機であり根拠だというほかありません。 同様に、関係的企投という動機が 「言葉」 という交換の手段を発展させているので、 「企投的意味」 こそが言語的な 「一般意味」 の根拠なのです。 
  たしかに人間の意味の世界は 「言語」 によって編まれている。 しかしわれわれは生の経験の中でつねに、決して言葉によって表現できない前言述的な、豊かな 「意味」 の世界が存在することを知っている。 われわれはある前言述的な感覚に押され、それを他者と共有しようとする気持ちにうながされて、はじめてそれを 「言語化」 します。 
竹田青嗣 『現象学は《思考の原理》である』





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posted by Vigorous at 21:53| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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