2010年02月26日

No.645 『青年と大人の哲学』

   大人は子どもの問いの意味をけっして理解できないが、青年は子どもの問いの意味を誤解する。 青年こそ子どもの真の敵なのだ。 子どもの立場から見れば、青年の哲学ほど不純なものはない。 大人が上げ底生活に安住する生き物だとすれば、青年は自分なりの底上げの仕方でその上げ底に達することを望む生き物だといえる。 
  青年は存在の問題を意味や価値で解こうとし、大人は価値の世界の内部で価値の調整をしようとする。 彼らにできないことは、意味や価値を存在へ返還することだ。 価値を存在に返還するとは、価値もまた存在の一形態に過ぎないことを自覚することだ。 大人と青年は観念論者だ。 彼らは観念の世界に安住する上げ底生活者なのだ。 青年とは、大人の上げ底生活を攻撃する上げ底待望者にすぎない。 老人と子どもは実在論者だ。 彼らは、価値を存在へ返還せざるをえない底なし存在なのだ。 
  子どもはまだ存在の世界から価値を眺めており、老人はもう価値の世界を出て、価値全体を存在に返還せざるをえなくなっているのだから。 
  大人と青年は、自分たちと子どもとの対立を、つねに大人と青年の対立に読み変えてしまう。 彼らが 「子ども」 というとき、それはつねに青年を意味している。 彼らには子どもというものが存在していること自体が理解できない。 子ども立場から見れば、青年と大人の対立ほどつまらないものはない。 世の中ではこの構図が何度も何度も繰り返され、人々はそこに何か根本的な対立があるかのように思い込まされている。 何にもありはしないのだ。 青年なんて大人の前段階に過ぎないし、大人なんてうまく偽装した青年にすぎないのだから
永井均 『《子ども》のための哲学』





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posted by Vigorous at 23:19| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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