2010年02月18日

No.639 『可能性』

   周知のように、哲学や思想の中心的な部分は、古典の研究である。 なぜ、古典研究がそれほど重要なのか。 過去の偉大な哲学者や思想家が語り、書いたことが、そのまま 「真理」 として通用するからである。 
  哲学史の研究においては、しばしば、アリストテレスが書いていること、カントが論じていることが、それ自体すでに真理であるかのように扱われる。 現代の哲学者、現代の哲学史の研究家が、ヘーゲルやヴィットゲンシュタインの真意を探ろうと、必死の努力を重ね、互いに激しく論争するのは、それらのことが、そのままに真理だからである。 もしもそれらが真理でなかったら、ヴィットゲンシュタインがとても分かりにくい断片を通じて言わんとしたことを解明することに、何の意味があるというのか。 古典研究におけるこうした態度は、前啓蒙主義的な権威への盲従を思わせる。 それにもかかわらず、こうした古典研究は、十分に実り豊かだったのだ。 
  これはどうしたことだろうか? しばしば、こうした 「盲従」 から開放された自由な思考を展開する論者よりも、古典に過剰なまでに拘泥する研究の方が、深く、豊かな真理を開示しているように見えるのだ。 
  「開かれた態度」 は、創始者の言葉に無条件に拘泥する者よりも、真理の研究にとって有利なように思える。 ところが実際には、そうはならないのだ! そうした 「開かれた研究」 は、たいてい、悲惨なまでにつまらないことしか論証できない。 どうして、先行の権威に盲従する者の方が、より創造的な研究を成し遂げることができるのだろうか。 
  陸上競技や水泳の世界で、誰かが、長年の間破られることのなかった世界記録を更新するような大記録を打ち立てると、突然、それに引き続いて、多くのアスリートが、次々と、それに匹敵する記録を出す、ということがある。 しかし、多くのアスリートが、ごく短い期間に次々と似たような記録を記録を出すことができるのだとすると、なぜ、それまで何年もの間、誰もそうしたことをなしえなかったのだろうか? 今できるのならば、かつてもできたはずではないか? (中略) 
  「単に可能である」 というだけの段階では、壁の向こう側に突き出るような記録を打ち立てると、突然、他の者にもそれができるようになる。 単に可能なことが、ほんとうに可能なことに転ずるわけだ。 
  可能性が、まさに可能性の水準にとどまりつつ、現実性もあるとき、初めて、それは真になしうることになるのだ。 だから、 「可能性」 という語は、二つの反対語に引き裂かれるようにしか使われない。 不可能だという意味での 「可能性」 と、現実的だという意味での 「可能性」 である。 記録を突破した者は、 「可能性」 という語に孕まれている二つの意味の間の越境を担ったのだと言ってよかろう。 すなわち、彼 (彼女) は、空虚な可能性 (不可能性) を、充実した可能性 (現実性) へと反転させる触媒としての機能を果たしているのである。 
  同じことは、知的な研究に関しても言えるのではないか。 一人の触媒を通じて、突然、大記録への突破が可能になるように、真理への深みへと突破した他者 (マルクスやフロイト) の存在を、いっこの事実として想定しうるとき、われわれは初めて、真理へと到達できるのではないか。 
  われわれが真理の深みに到達するためには、その深みへとすでに足を踏み入れているはずの他者の存在を想定し、その他者の、困難な抜き差しならぬ闘いを反復し、あらためて現実化しなくてはならないのだ。 だから、マルクスやフロイトが真理をつかんでいるはずだという、無根拠で頑固な想定に固執する者 (先行的に投射する者) の方が、開かれた啓蒙主義的な態度で臨む者よりも、はるかに創造的な成果を挙げることができるのである。 
  選択が先験性を帯びるのは、その 「他者」 が、構造的・論理的に先行性を帯びたものとして立ち現れるからである。 その 「他者」 とは何か? それこそ、私が 「第三者の審級」 と呼んできた、超越的な他者に他なるまい。 このような投射のメカニズムを、私は 「先行的投射」 と呼んできた。 先験的選択の本体とは、結局、第三者の審級の先行的投射にほかならない。 
大澤真幸 『逆接の民主主義』





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posted by Vigorous at 20:36| 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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