2010年02月16日

No.637 『お説教について』

   世間は馬喰や競馬の飲み屋が、信心深さを顔に出すとは思わないし、船乗りの言葉遣いが、かかりつけの医者ほど丁寧であるはずもない。 人間が自分の生地のままに振る舞える職業は、概して、かなりの偽善が要求される職業にくらべて、利益が少ないのはもちろんである。 会社の顧問弁護士、腐敗した政治家や人気ある精神科医は、終始厳かな口調で尤もらしい道徳論を述べねばならないが、こういった苦しい所行の見返りに彼らはそれ相応の報酬を受ける。 しかし世間には、道徳的に立派な見本たることを要求されていながら、それに付随する道徳的知的負担への応分な報酬が与えられない二つの悪い職業がある。 それは学校の先生と宗教家である。 教育職について言えば、いわゆるお説教への世間の要望はまったく筋違いである。 お説教をしたと分かった教師をすべて即刻免職にでもしない限り、今後まともな人間は育たないであろう。 それでは、説教とは何なのかについてわれわれは明確にしておかなければならない。 私が子供に向かって、「毒ほおずきを食べてはいけないよ。 食べると死んでしまうからね」と言うことはお説教にならない。 だが私が彼に、「チョコレートをたくさん食べてはいけないよ。 食べ過ぎると、大食の罪を犯すことになるよ」と言うならば、これはお説教になる。 大人が子供に「こんなことをしてはいけないよ。 それは罪になるからね」という場合には、彼が子供に伝えたい真意は、「こんなことをしてはいけないよ。 もしそれを止めないと私は叱って君をいやな目に合わせるよ」ということである。 しかし、この言い方であればそれは、毒ほおずきを食べると死ぬよと言うのと同様に、全然お説教とは無関係である。 お説教の本質は、詮じつめれば虚偽にほかならない。 本当の理由でないことを理由として述べるところにその本質がある。 
B.Russell 『人生についての断章』 (部分抜粋) 転用者は必ず原典を確認のこと!





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posted by Vigorous at 21:43| 教育、心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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