2010年02月03日

No.627 『言語のルール規定の不可能性』

   言語のアイテムやルールを形式論理的に体系づけようとすると大きな 「謎」 にぶつかります。 簡潔にいうと、中心的な 「謎」 は二つです。 第一は、言語の多義性ということ。 第二に言語規則 (言語のルール) の厳密な規定の不可能性、ということです。 
  これらの言語的 「謎」 は、現象学的な観点からは容易に解くことができます。 しかし形式論理的分析をこととする言語哲学では、この 「謎」 を解くことかができません。 そもそも言語の 「謎」 は、言語を形式論理として捉えることによって現れるものなので、言語哲学の方法では、言語のパラドクスは微分的に再生産されるだけなのです。 
  現代言語哲学は、言語を徹底的に形式論理として把握したために、言語の 「謎」 的本性を発見することになった。 これは大きな功績だったと言えます。 しかし自らの形式論理的方法を脱却しない限り、 「謎」 についてのスコラ議論を超えてその本質をつかむことができなくなっている。 
竹田青嗣 『現象学は《思考の原理》である』





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posted by Vigorous at 21:08| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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