2010年02月01日

No.625 『現代言語哲学の欠陥』

   言語行為の本質を、多くのカードを使って意図をやりとりする複雑なルールゲームと考えてみましょう。 さまざまなカードはさまざまな言葉です。 われわれはこのゲームによって何をするのか。 多様な 「思考」 を作り出し、それを相互に共有し、そのことで 「社会」 というゲームを作りなすのです。 「現代言語哲学」 は、いわばこのゲームにおける 「言語というルール」 の体系を正確に記述しようとするわけです。 また、そのルールが微妙に変化してゆくその理由を突き止めようとします。 それからさらに、 「言語のルール」 と実際の使用とのあいだに見出される不思議な 「ズレ」 の原因をとらえようとしてきました。 この思考の特質は、あるゲームの本質を探究するには、そのゲームのアイテム (将棋の駒の種類、トランプのカードの種類) とルール (規則) を体系的に正しく記述すればよい、と考える点にあります。 だが、そうでしょうか。 
  たとえば宇宙の果てから、高度な知能を持つ異星人の何らかのゲームの正確かつ詳細なルールブックが地球に届けられたとしましょう。 仮にわれわれがその言語を解読できたとして、しかしそのことでそのルールの本質を理解することができるでしょうか。 けっしてできません。 われわれは、ルールブックを頼りに彼らのゲームを再現し、実際にやってみること、このゲームを実際に繰り返し行ってみることではじめて、そのゲームの本質 (つまり、プレーヤーにとってのエロス=面白さ、意味、問題点等々) を理解することができます。 要するに、ゲームの本質というものは、単にそのルールの体系を正確に記述することではけっして把握できないものであり、実際にプレイすることを通してはじめてそのゲームの本質の把握が可能になるのです。 なぜでしょうか。 
  ゲームにはプレーヤー、つまりゲームを行う主体が存在しなければならず、この主体のゲームの経験だけがゲームの本質をつかむことができるからです。 というのも、ゲームの本質はゲームが作り出すエロスにあるからです。 実際、われわれが宇宙人のゲームのルールを理解してそれをプレーしてみたとしても、もし宇宙人と人間との幻想的エロスの本質が異質なものであれば、われわれは宇宙人のゲームをまったく楽しむことができず、あるいは面白さ、スリル、辛さ、困難などを経験することができず、したがってその本質をつかむことができない。 ルールゲームの本質は、ゲームを行う主体のエロス的幻想の本質と 「相関的」 だからです。 このことを理解できないのが、 「心的内容」 を度外視してルールやシステムの体系を事実的に認識すれば言語の本質を把握できるとする、現代の実証主義的思考の本質的な欠陥なのです。 
竹田青嗣 『現象学は《思考の原理》である』





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posted by Vigorous at 20:34| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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