2010年01月30日

No.623 『倫理学』

   倫理学という学問は不思議な学問だった。 哲学の場合、僕はそこに自分の問いに対する答えを見つけることはできなかったとはいえ、他の人たちがやっている哲学というものの意味がよくわかったし、彼らの態度や意気込みには、むしろ共感を感じだ。 だが、倫理学に関しては、まったく事情が違っていた。 僕がそこに見たのは、常識という、それなりに素直な素顔の上に、無用な厚化粧をほどこしている、といったような味の悪い風景だった。 
  ある宗教の家系に生まれながら、その宗教の教義に疑問を感じてしまった者が、その疑問を晴らすために、教義学者に弟子入りしてしまったみたいなものだった。 教義学者はその宗教の根本前提を疑わない。 そういった根本的なところが問題だったのに。 
  要するに教義学者は、素朴な信仰のうえに厚化粧をほどこすだけなのだ。 倫理学は教義であり、いうなればひとつのイデオロギーなのである。 イデオロギーとは、事柄の実態を明らかにするようなふりをして、実はある何かを正当化するためにできている説明体系のことだ。 このイデオロギーは、 「なぜ、悪いことをしてはいけないのか」 といった問題そのものを認めない。 それは根本前提だからだ。 だから、この学問を学んでも、何かが明らかになることはない。 
  倫理学は、現に存在している道徳がどんな構造をしているかを解明することが、同時に、人は何をすべきであるか、いかに生きるべきであるか、を教えることができるという前提のうえに成り立っている。 つまりそこでは、道徳の本質の究明と、従うべき道徳規範の提唱と、人生論とが一体になっているのだ。 
永井均 『《子ども》のための哲学』



 私としては、こういった発想自体がイデオロギー的だと感じるのだが、いかがだろう。 ひとつの思考体系に強引に終止符を打たせようとするための巧妙な手段に見えてならない。


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posted by Vigorous at 09:54| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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