たとえば世の中には色々な理由で殺人を犯す人がいる。 そういう人は、殺人が道徳的に悪いことだということを知らないわけではあるまい。 殺人はいけないことだとずーっと思ってきたに違いないし、殺人を犯した後でさえそう思ってはいるだろう。 でも、彼はそれを行った。
なぜだろう。 そういう道徳的根拠を凌駕するような、もっと強い動機をもったからだろう。 道徳は彼の殺人行為を押し止めることはできなかった。 道徳は考慮されたうえで捨てられたのだ。 その行為が道徳的に非難されるなんてことが、どうしてできるのだろうか。 道徳の要求とそれ以外の要求を対比して、道徳以外の要求の方を選んだ人を、なぜ道徳が裁くことができるのだろう。 道徳が何を言おうと、それはもう考慮済みなのではあるまいか。
道徳的に悪いことは、大抵、道徳の存在を考慮に入れたうえでなされるのだから、道徳的非難なるものは、いつも、もうすでに無効になったものとしてしか登場しない、ということになる。
永井均 『《子ども》のための哲学』
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