2010年01月12日

No.608 『大人のルールの手応え』

   親が子に与えるルールは、さしあたっては親子の共生のために必要な諸ルールだが、このルールは、まず必ず親から子供に一方的に与えられ、その後子供がルールの意味を確認していくというプロセスをとる。 問題なのは、次のような形でルール形成に不都合が生じる場合だ。 
  (1)  父親と母親のルールが一致しておらず、分裂している場合
  (2)  親が与えるルールと社会のルールが分裂している場合
  (3)  親のルールが、愛情によってではなく、自分たちの都合で与えられている場合

  自己ルールの分裂やズレは、必ず 「自我」 についての不安や自責感をもたらすから、この不安を打ち消そうとして過剰な防衛や攻撃性が強まることになる。 どんな子供でも、すこし成育すると必ずイタズラをする。 イタズラとは親のルールをすこし破ってみることだ。 イタズラは、いわば大人のルールの手応えを自分で試してみるような行為なのだ。 ただ、一人でやるイタズラはさほど大したものにならない。 友達と共犯的に試みられるイタズラ、これが重要な意味を持っている。 
  友達と一緒に、 「だめ」 と言われたことをしたり、禁じられた場所へ行ったりすること、これには独特の意味がある。 それは大人のルールの禁止線を少し破ったり動かしたりすることだが、それだけではない。 それを 「仲間たち」 と一緒に行うこと、このとき子供たちは、単に親のルールを破っているだけではなく、いわば自分たちのルールによって親のルールの手応えを試しているのである。 ここで、はじめて親のルールの自分たちのルールが対立的関係をとる。 つまりこのとき、子供ははじめて世界を二重化している。 親のルールは依然として強力で支配的だが、しかし以後決して 「絶対的なもの」 ではなくなる。 
  子の世代は、いつの時代も社会のルールを大人たちからまず一方的に与えられ、それを守る能力を身につけていくが、必ず仲間たちとの共犯的関係でそのルールを破ったり罰を受けたりする経験を持ち、そのことで少しずつ社会のルールの意味を試す。 この経験を通して彼らは、社会におけるルールの存在理由、その本質を徐々に理解してゆくのだ。 またそのことではじめて彼らは、自分たちの関係のうちで自分たちなりのルールを作っていく能力を身につける。 だから、子の世代が大人のルールを共犯的に破りつつ 「試す」 ことには、新しい世代が既成の社会のルールを徐々に改変していくことの原型があると言える。 
竹田青嗣 『哲学ってなんだ』





検索用kwd:
posted by Vigorous at 22:01| 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ



注意
◆ このブログの内容は引用が中心ですが、知識の切り売りを目的としたものではなく、投稿者の備忘録として作成されています。皆さんは、ここに書かれた引用のみで満足することなく、なるべく原典に触れる習慣をつけてください。
◆ このブログでは、投稿者が独自に調査したデータや、知人から伝え聞いたエピソードなどが掲載されることがありますが、そのまま受け売りにせず、皆さん自身が事実関係を調査し、記事の真偽を見極めることができるように努力してください。
◆ ここは金言や名言を羅列することを目的にしたサイトではありません。どんな金言や名言も、羅列したとたんにただの展示物になってしまいます。長い引用も短い引用も、じっくり噛み締めて味わい、あなたの財産にしてください。アーカイブも一度にすべて読むのではなく、毎日少しずつ読むようにすると良いでしょう。



QRコード

リンク集
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。