2009年12月24日

No.591 『哲学と哲学者』

   哲学は、結局のところ何がいいたいのか。 というような形で、その趣旨を要約することなんてことはできない。 誰かが哲学をして、結局のところ何かをいったとしても、結局のところ言ったことは哲学ではないからだ。 最初の疑問と、納得を求めて右往左往する裸の思考過程の中にしか、哲学はない。 はじめから問いを共有しない人には、その主張の哲学としての意味はわからないのだから。 
  だから、哲学史の本なんてものも無意味だし、そもそも不可能だ。 学説のカタログのような本も同じである。 原初の問いと細部の思考過程が省略されたそうした本には、哲学にとってはどうでもいいことしか書いていないからである。 
  たとえば、 「プラトンは、イデアの世界がこの現実世界を超越したところにあり、現実派イデアを原型とする不完全な模像にすぎないと考えた。 それゆえ、人間の魂はイデアの知を求めることではじめて善いものになるとした」 なんてことを知ったところで、どんな意味があろうか。 そんなことは、哲学とは縁もゆかりもないことなのだ。 
  試行の成果はつねに残骸であり、さらに思考されるべき課題に過ぎない。 プラトンはけっしてプラトン主義であることはできず、ニーチェはけっしてニーチェ主義者であることはできない。 哲学する者にとって、自分の思想はどの時点でもつねに新たな問題にすぎないからだ。 生きている間、彼らはただ哲学者であったに過ぎない。 
永井均 『《子ども》のための哲学』





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posted by Vigorous at 20:48| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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