2009年11月30日

No.577 『システムを成立させる抽象的なエレメント』

   今、諸個人というのは何ものでもないままに集合している状態と想定してみます。 そこでは、諸個人は具体的には何ものとしても規定されていない。 人々は、抽象的な個人にまで還元されているわけです。 まさに抽象的であるがゆえに、その個人は、可能的には何者にもなりうる。 その意味で、普遍的な個人でもありうる。 こうした抽象的で普遍的な個人が出会う領域こそが、市場でしたね。 市場というのは、抽象的な個人の集合に経済的な表現を与えるものです。 同じものに政治的表現を与えたものが、市民社会です。 (中略) 
  市場なり市民社会において、抽象的な個人が、普遍性の資格において直接に出会えるためには、ひとつの特別な条件が必要です。 こうした抽象的な個人の集合が、無条件で成立するわけではない。 個人の集合がまさに単一の集合であることを保証する、エレメントが必要になるわけです。 市場や都市における、抽象的な個人の共存が可能であるためには、つまり、それが単なる個人の無意味で、秩序のない集塊であることを超えたひとつのまとまった領域でありうるためには、そうした領域の単一性を構成する超越的なエレメントが必要です。 その超越的なエレメント自身が、内容的な限定性から開放された抽象的契機でなくてはならない、ということが肝心です。 市場において、諸商品は、その使用価値としての特殊性から開放された価値に還元される。 そうした還元が生じるのは、貨幣が存在しているからです。 
  重要なことは、この場合、超越的なエレメントは十分に抽象的でなくてはならない、ということです。 たとえば、貨幣は抽象的です。 
  市民社会的なシステムを成立させるためには、抽象的な超越性が、システムの単一性の準拠点になっていなくてはならない。 大正天皇が注目されるのは、この抽象的な天皇が、当時の日本の社会にとって、こうした超越性の、一つの形態であった可能性があるからです
大澤真幸 『戦後の思想空間』





検索用kwd:
posted by Vigorous at 20:50| 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ



注意
◆ このブログの内容は引用が中心ですが、知識の切り売りを目的としたものではなく、投稿者の備忘録として作成されています。皆さんは、ここに書かれた引用のみで満足することなく、なるべく原典に触れる習慣をつけてください。
◆ このブログでは、投稿者が独自に調査したデータや、知人から伝え聞いたエピソードなどが掲載されることがありますが、そのまま受け売りにせず、皆さん自身が事実関係を調査し、記事の真偽を見極めることができるように努力してください。
◆ ここは金言や名言を羅列することを目的にしたサイトではありません。どんな金言や名言も、羅列したとたんにただの展示物になってしまいます。長い引用も短い引用も、じっくり噛み締めて味わい、あなたの財産にしてください。アーカイブも一度にすべて読むのではなく、毎日少しずつ読むようにすると良いでしょう。



QRコード

リンク集
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。