2009年11月18日

No.567 『子ども時代の独我論からの脱却』

   小校3年生の頃、大人が僕の要求していることの意味や、僕が毎日させられていることの意味が、急にはっきりしてきた。 自分を含めた世界全体がきれいに区切られていくのを感じた。 それまでぼんやりとは実感してはいたが、はっきりととらえることができなかったある事実を、はじめてはっきり自覚したみたいだった。 その中にひたりきって生きていたために、かえってはっきりつかむことができなかったある問題を、その外に出てはじめてはっきりとつかんだようだ。 外に出た、というのは、一言で言えば、僕はたくさんいる人間のうちの一人なんだ、ということが実感できた、ということである。 
  それまで、たぶん僕は、そう感じて生きてはいなかったのだと思う。 僕というものはまったく特別のもので、言ってみれば、それに対してすべてが存在している原点のようなもの、もっと正確に言えば、その上ですべてが繰り広げられる舞台のようなもの、というふうに感じていた。 ところがあるとき、そういう蒙昧状態がぷつんと終ってしまったらしい。 これはつまり、ある意味では、独我論から脱したということだろう。 
永井均 『《子ども》のための哲学』





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posted by Vigorous at 21:27| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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