人間精神の本質たる 「自由」 は、まずはじめは 「所有」 への欲求という形をとる。 所有なしに人間の自由は存在しない。 所有は、はじめは親や上位のものの許可によって可能になるが、つまり所有のうちには最低限の 「承認」 が存在する。 人間どうしの所有の承認は、家族の相互配慮の世界から離れて、他者どうしの自由の承認へと進んでいく。
「契約」 とは、単に他者の所有の許可や承認をすることではなく、それを他者の当然の権利として認め、互いがこの権利を尊重し、そこに暴力を持ち込ませず、いったん行った約束を守る意志を持ち合うことである。 これが社会全般に拡大し、一つの制度として定着すると 「法」 となる。 さて、 「法」 が統治支配からの一方的な命令としてではなく、相互的な 「契約」 とその権利の確定という仕方で拡大するのは 「市民社会」 においてである。
市民社会は、それ自身では、この 「自由」 の相互的確執を調停する原理を持っていない。 そこでヘーゲルは、解放された個人の 「自由」 の競合をより高次のレベルで統合するものとして、 「国家」(=人倫) の原理をおく。 市民社会は 「悟性国家」 と呼ばれ、より上位の概念としての人倫国家は 「理性国家」 と呼ばれる。
これがヘーゲルの 『法の哲学』 における、 「家族」→「市民社会」→「国家」 という 「自由の本質の展開」 の大きな輪郭である。
竹田青嗣 『人間の未来』
検索用kwd:


