2009年10月20日

No.544 『ラッセルによる『社会契約論』批判』

   ルソーの 『社会契約論』 が、全体主義の理想的源泉となったという意見は、現在でもいたるところで見られる。 批評家テーヌも社会契約説を評して 「圧制の賛美」 だと書いている。 現代でも、 「一般意志」 の概念を危険だとする意見は、ハーバーマスなどを筆頭に後を絶たない。 
  これら 「ルソー、ファシズム元凶論」 の感度はわからないでもない。 たとえば、 『社会契約論』 第二編第五章に、 「執政体が、『おまえが死ぬのは、国家のためになる』といえば、市民は死ななければならない」 といった言葉がある。 ルソーの思想を 「全体主義思想」 の源泉と呼んだラッセルはこう言う。 「一般意志」 は重要らしくはあるが、はっきりしない教説だ。 それは過半数の意志とも違うし、市民の意志の総和でもなく、むしろ 「政治体に属している意志」 のようだが、この政治体の意志とは何かについて、ルソーは我々に何も語らない。 ただわかるのは、 「一般意志はつねに正しい」 という主張だが、これはとても曖昧模糊としている。 結局のところ、 「一般意志」 とは、 「人々の私利の最大の満足を代表するもの」 、つまり 「国家の私利の最大総和」 と解するほかない・・・・・。 
  ルソーはこうも書いている。 「政府は一般意思を代表しなければならないが、社会はそれをつねに阻害する大きな要因がある。 それは、 『国家の内部に下部諸団体が存在すること』 だ。 それぞれの団体は自分たちの一般意志を持つので、社会全体の一般意志と対立する。 だから一般意志が十分よく表現されるためには、国家の中に部分的社会がなく。 各市民が自己の意志だけに従って意見を述べることが肝心である。 」
  ラッセルによれば、このルソーの考えは、国家による教会や政党や労働組合といった団体の禁止に結びつき、きわめて危険である。 まさしくここらルソーの考えの全体主義的性格が現れている、と。 
竹田青嗣 『人間の未来』





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posted by Vigorous at 21:44| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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