2009年10月19日

No.543 『近代の超克』

   「近代の超克」 に、今日でも多くの人がなぜ強い関心を寄せるかというと、この言説が、一般に当時ファシズム化していた、あるいは超国家主義の段階に入っていた日本のイデオロギーのエッセンスを表現しており、さらには日本のアジアへの対外侵略の正当化にも寄与したと考えられているからです。 
  第一次世界大戦の終結に伴う転換は、社会科学的に大づかみに見たらどういう変化になるか。 19世紀の段階には、中心は明らかにイギリスに、あるいは西ヨーロッパにあるわけです。 第一次大戦は、この世界システムの中心が移動した画期を刻印しているんです。 どう移動したかというと、西欧あるいはイギリスから、アメリカへと移動したんですね。 1920年くらいを境にして、世界システムの中心は、完全にアメリカへと移動してしまう。 が、ここで少しばかり注意しておかなくてはならないことは、アメリカ自身が、このことを、つまり自分がシステムの中心であるということを、あまり自覚していなかったということです。 このことを象徴的に示しているのは、自らの国の大統領が提案した国際連盟に自分自身は参加しなかった、という事実ですね。 そのために、このシステムの中心が、一時的に、事実上、空白状態になってしまったんですね。 
  僕は、ここで市場の原理についてだけ言っているわけではありません。 これは、精神的・文化的意味も持っているわけです。 西欧では、自分自身の上にあった中心が離れていってしまったこと、あるいはむしろそもそも中心そのものが空白化してしまったことが、一種の 「空白」 として自覚されたんだとおもいます。 このことの最終的で顕著な帰結が、資本主義的な世界システムを襲った、1929年に始まる大恐慌なんです。 
  1930年代は、この大恐慌の時期に始まる。 そして、これこそが、 「近代の超克」 という思想の揺籃期、そういう思想が作られていく時期にあたるわけです。 そしてこれは 「昭和維新」 と呼ばれる時期ですね。 簡単に言えば、 「近代の超克」 論というのは、資本主義的なシステムが、今まで経験したことがないほど大きな挫折を経験していた、その時期に発芽したわけです。 中心としての自覚の欠如からくるアメリカの政策、たとえば金利低下策などがあり、簡単に言えば、アメリカが海外に投資した資本が、全部アメリカに戻ってきちゃったんです。 どうしてかというと、アメリカで株式ブームがあったんです。 この株式ブームは要するにバブルです。 1920年代後半ぐらいからバブル経済になるんです。 それで投機でもうけるほうが得になってきて、アメリカで株を買ったほうがいい、金融証券を買ったほうがいいということになる。 結局そのバブルが、まさに今日と同じような形で弾ける。 そして日本も、決定的な大恐慌に入っていって、ものすごい失業率になる。 日本ではこれを 「昭和恐慌」 と呼んでいます。 
  とにかく、資本主義の転換期が、あるいは資本主義の挫折の時期が、昭和の 「近代の超克」 的な発想が宿りはじめた時期とちょうど対応しているんです。 
大澤真幸 『戦後の思想空間』





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posted by Vigorous at 20:28| 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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