2009年10月15日

No.540 『真の赦し』

   他者の属性を固定させたままに、その他者との共存可能性を問題にした場合には、われわれは、ときに、悲観的な見通ししかもちえない。 だが、他者は不変ではない。 (中略)
  「赦せない」 ということは、我々が抱く 「善」 の観念の下では、その 「他者」 は、否定的に、純粋に否定的に意味づけられる他ないということである。 その 「他者」 を 「赦す」 ということは、われわれが、我々のアイデンティティの根拠となっていた 「善」 の観念を放棄し、その 「他者」 と同じものになってしまう、ということを含意するだろう。 これは 「赦し」 に関して、一般的に想定されている順序とは、まったく逆だ。 普通は、他者の変容が赦しに先立っている。 すなわち、我々は、他者が謝罪するならば、 (場合によっては) 赦してやろう、と言う。 謝罪した者を赦すということは、他者の変化という事実を後から確認することに他なるまい。 したがって、こうした赦しには、倫理的な選択としての契機はない。 逆から言えば、真の赦しは、未だに謝罪していない者への赦し、赦しえない者への赦ししかない、ということになろう。 他者を 「赦しえない」 と我々に判断させた原因 (他者の悪人性) を、その他者が未だに解消していない段階での赦しのみが、真の赦したりうるのである。 
大澤真幸 『逆接の民主主義』





検索用kwd:
posted by Vigorous at 20:55| 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ



注意
◆ このブログの内容は引用が中心ですが、知識の切り売りを目的としたものではなく、投稿者の備忘録として作成されています。皆さんは、ここに書かれた引用のみで満足することなく、なるべく原典に触れる習慣をつけてください。
◆ このブログでは、投稿者が独自に調査したデータや、知人から伝え聞いたエピソードなどが掲載されることがありますが、そのまま受け売りにせず、皆さん自身が事実関係を調査し、記事の真偽を見極めることができるように努力してください。
◆ ここは金言や名言を羅列することを目的にしたサイトではありません。どんな金言や名言も、羅列したとたんにただの展示物になってしまいます。長い引用も短い引用も、じっくり噛み締めて味わい、あなたの財産にしてください。アーカイブも一度にすべて読むのではなく、毎日少しずつ読むようにすると良いでしょう。



QRコード

リンク集
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。