2009年09月20日

No.522 『青年期の「自己意識の自由」確保の試行』

   ヘーゲルは面白いことを言う。 青年期までは、人は欲望が他人の承認においてはじめて可能になることを、十分自覚していない。 思春期から青年期にかけては、 「自我の意識」 がすごく発達する。 それで青年はみないわば 「自己アイデンティティ」 の鬼になってしまう。 こうして演じられるのが、 「自己意識の自由」 というドラマである。 それは次のような類型をとる。 

  (1)ストア主義  禁欲主義
  (2)スケプチシズム  懐疑主義
  (3)不幸の意識  高邁な物語


  なぜ青年の「自己アイデンティティ」確保のはじめの類型が、 「ストア主義」 なのか。 
たとえば、教室で30人ほど生徒がいて、先生が質問をするとする。 
  クラスに何人かは、たとえ自分の考えがあったとしても、決して手を挙げない生徒がいる。 彼 (女) はこんなふうに思っている。 「私はみんなのように醜い自我の張り出し競争などしない人間だ。 私は他の人たちとは、ちょっと違うんだ」 である。 こういう仕方で彼らは、自分のうちで自己アイデンティティを確保しようとしているのだ。 
  次にスケプチシズム (懐疑主義)。 懐疑主義者は、議論の揚げ足をとるのがうまい。 斜に構えていて、ああ言えばこう言って、どんな意見も大した価値がないことにしてしまう。 「ほかのヤツらは、絶対的に正しいことなんてどこにもないってことを知らないし、だからどんな議論もちょっと見方を変えれば、みな相対化されちゃう、ってことすら知らない。 」 これがスケプチストが自己アイデンティティを確保しようとする特徴的なやり方である。 しかしスケプチストにも弱点がある。 それは他人の意見にはあれこれ言って強いところを見せるが、じつは自分の独自の意見というものがない、という点だ。 
  キリスト教やマルクス主義は、すでに長い時間をかけて大勢の知識ある人々が作りあげ完成した 「世界観」 である。 あらゆることが説明されているし、ちょっとやそっとの批判ではびくともしない。 スケプチストなどが多少相対化しようとしても簡単に崩されるものではない。 だからこれはいつの時代でも、若者の 「自己アイデンティティ」 の確立に大きな役割を果たす。 つまり、もし誰かがキリスト教やマルクス主義の強力な教養を身につけ、それをわがものとすれば、彼は非常に強固な 「自己アイデンティティ」 を獲得することになる。 若者は、この絶対的な理想に憧れるのだ。 キリスト教なら 「ほんとうに純粋な神への献身と信仰」 が、マルクス主義なら 「人民と革命の達成のための自己犠牲」 が要求される。 だが、一方で誰も不完全な生身の人間にすぎない。 ここに大きな乖離が現れる。 この分裂の意識が 「不幸の意識」 である。 
  ヘーゲルによればこの 「自己意識」 の三類型は、 「承認のゲーム」 なしに 「自己意識の自由」 を確保しようとする不毛な試みなのだ。 この試みは決してうまくゆかない。 なぜならこの試みは、自己意識の内部だけで自分の価値を認めようとするような試みだからである。 こうして青年は、自己価値を確保しようとあがく苦しみの経験中で、ようやくその不毛さに気づくそして、 「自己のアイデンティティ」 が他者たちとの承認ゲームの中ではじめて実現されるものであることを、徐々に自覚するのである。 
竹田青嗣 『哲学ってなんだ』





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posted by Vigorous at 18:46| 教育、心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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