2009年09月08日

No.510 『本来的自己と非本来的自己』

   存在しているさまざまなものの中で、存在を問うことのできる人間は存在への関わりをもっている特別なものです。 木や石も存在するのですが、存在を問うことをしません。 動物も存在を問いません。 存在との関わりをすでにもっているものとしての人間を、ハイデガーは 「現存在」 と名付けます。 「現存在」 と訳されるドイツ語の単語ダーザインは、普通は 「生存」 というほどのことを意味しますが、語源的には 「そこにあるもの」 ということを意味するにすぎません。 ハイデガーがこのような用語を使った理由のひとつは、 「人間」 といえば読者はただちにそれを 「主観」 とみなしてしまうだろう、と思ったからです。 (中略) 現存在の全体性を捉えるためには、それの終わりを分析する必要があります。 現存在の終わりとは 『死』 です。 人間は死にます。 現存在はいずれ来るだろう死に対していつも何らかの態度をとっています。 ハイデガーは現存在のそのようなあり方を、 「死に臨んでいる存在」 と名付けます。 しかし私たちは、たいてい死を他人事のように考えています。 ハイデガーは、現存在が自分自身から自分自身を理解しているあり方を本来的といい、自分以外のもの、たとえば世間の常識のようなものにしたがって自分自身を理解しているあり方を非本来的といいます。 ハイデガーはこの非本来的な自己理解について次のように述べています。 
 「 《死は確かにやってくる、しかし今すぐというわけではない》 と、人はいう。 この 《しかし》 によって、世間は死が確実であることを打ち消す。 こうして世間は死の確実性が帯びている特異な性格、すなわち死はいかなる瞬間にも可能である、ということを覆い隠してしまうのである。 」 (第五二節) 
  非本来的な自己理解を克服して、死に臨んでいる自分自身の存在をそれとして捉えることはどのようにして可能となるのでしょうか。 ハイデガーは、それは 「良心の声」 による、と考えます。 
  他人とのおしゃべりに夢中になっているとき、現存在は世間話に耳を奪われて自分自身の自己を聞き逃しています。 このように自己を聞き逃している自己喪失状態から現存在を連れ戻すためには、世間話に耳を奪われているあり方が打ち破られなければなりません。 「良心の声」 は、一種の衝撃となって現存在を揺さぶり、その非本来的なあり方を打ち破るのです。 
左近司祥子編 関口浩著 『西洋哲学の10冊』





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posted by Vigorous at 21:06| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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