2009年08月30日

No.501 『人道的に問題なウルトラマン』

   「ウルトラマン」 の最大の難点、どんな子供が見ていてもそのうち気づいてしまう難点は、ウルトラマンによって助けてもらうわけだから、そもそも人類のほうに軍隊なんか要らないじゃないか、ということですね。 たとえば科学特捜隊というのがいて、いつも怪獣と戦うんだけれども、ほとんど役に立たないんです。 おそらく制作者側すらこうした疑問を共有しており、科学隊が自身の存在理由がわからなくなり、アイデンティティク・ライシスに陥るといった回がある。 科学特捜隊というくらいですから科学的な兵器を使って海獣と対抗するんです。 しかし、新兵器は、たいてい、全然怪獣に通用しないんですよね。 だから、最終的にはウルトラマンがやってきてやっつけちゃうわけです。 
  特に、科学特捜隊の中で、イデ隊員とかいったか、科学兵器の開発の専門家は 「俺の兵器で勝った験しがあったかな」 という感じになってくるんですよ。 そうすると、ハヤタ隊員がなだめるわけですよ。 「いや、そんなことはない」 とかいろいろ言うんだけど、どう考えてもそんなことあるわけですけれども。 それで、その回はどうなるかというと、最終的な部分では、イデ隊員のつくった光線中みたいなものが功を奏するようになっています。 その回でもウルトラマンはもちろんやってくるんです。 ウルトラマンが怪獣をおおむねコテンパンにやっつけて、あと一発たたけば死ぬぐらいまで来ているんです。 そこのところでウルトラマンは、わざと怪獣を殺さず、イデ隊員に、自分で作った光線銃で怪獣にとどめをささせてあげるわけです。 すると、イデ隊員は、 「俺がやったぞ」 とかいって喜び、自信を回復する。 
  言いたかったのは、とにかくウルトラマンのような大衆的なサブカルチャーの中にも、すでに日本の戦後というものがアメリカに象徴されるような審級を、あるいはアメリカに象徴されるような超越的な他者を準拠点としながら自身を位置づけるという関係が見出されるということですね。 
  初期ウルトラマンシリーズはどこで挫折しているのか。 それは、ウルトラマンが地球人を守ることにどういう必然性があるのだろうかという問題に対して答えられなくなってしまうからですね。 それで、物語の中でも宇宙人に反論されたりして、論破されてしまったりするわけです。 だいたい、宇宙から来たバルタン星人なんかを次々と殺しちゃうというのは、人道上たいへん問題です。 というのは、これは難民が来たときに片っ端から殺すのと同じなんですよね。 いかにパスポートを持っていない難民であろうと、来たらいきなり殺すというのはメチャクチャだと思います。 それで、ウルトラマンがそういう地球人のとんでもない振る舞いをどうしてサポートするかということを遂に弁証することができなくなる。 
  もともと、ウルトラマンへの信頼は、日本人のアメリカの善意への、あるいは琉球人の日本の善意への、無条件で無根拠な信頼の映しだった。 ウルトラマンの挫折は、アメリカの善意を自明に前提できた段階が終りつつあるということを、そうした前提を支えていた国際関係を含む社会構造が失われたということを暗示していると思うんです。 
大澤真幸 『戦後の思想空間』





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