2009年08月28日

No.499 『われわれの身体がこれほど大きい理由』

   原子の 「平均」 的な振る舞いは、統計学的な法則に従う。 そしてその法則の精度は、関係する原子の数が増せば増すほど増大する。 
  ランダムな中から秩序が立ち上がるというのは、実にこのようにして、集団の中である一定の傾向を示す原子の平均的な頻度として起こることなのである。 
  ここで、100個の微粒子からなる集団を考えてみよう。 これらの微粒子を空気中にばら撒いたとする。 微粒子は空気中の分子にこづき回されながら、四方八方にさまよいつつも重力の影響を受けて 「平均」 としては、下方に落下していく。 (中略) 今、このような微粒子の振る舞いを 「平均」 ではなく個々に、ある一瞬だけ、正確に観測してみることができたとしよう。 すると、数百個の微粒子の大多数は、空気中にばら撒かれれば落下しているはずだし、水溶液の一隅に溶かし込まれれば濃度の薄い方向へ拡散しているはずだ。 が、観測したその一瞬をとってみれば、粒子のうちいくつかは、この法則からはずれて、落下ではなく上昇しているもの、あるいは濃度の薄い方向から濃い方向へ逆行しているものがあるはずである。 平均から離れて、このような例外的な振る舞いをする粒子の頻度は、平方根の法則と呼ばれるものに従う。 つまり、100個の粒子があれば、そのうちおよそルート100、すなわち10個程度の粒子は、平均から外れた振る舞いをしていることが見出される。 これは純粋に統計学から導かれることである。 
  さて、仮に、たった100個の原子から成り立つ生命体を考えてみよう。 この生命体は、10個程度の粒子は、その活動から外れることを覚悟しなくてはならない。 全体が100で、例外が10ならば、生命は常に10%の誤差率で不正確さをこうむることになる。 これは高度な秩序を要求される生命活動において文字通り致命的な精度となるだろう。 
  では、生命体が100万個の原子から構成されているとすればどうだろうか。 平均から外れる粒子はルート100万、はなわち1000となる。 すると誤差率は0.1%となり、格段に下がる。 実際の生命現象では、100万どころかその何億倍もの原子が分子として参画している。 生命体が、原子ひとつに比べてずっと大きい物理学上の理由がここににあるとシュレディンガーは指摘したのである。 (中略) 
  拡散はその途上では濃度勾配という情報をもたらすが、やがては一様に広がり平衡状態に達する。 これは物質の分布のみならず、温度の分布、エネルギーの分布、あるいは化学ポテンシャルと呼ばれる反応性の傾向も、すみやかにその差が解消されて均一化する。 物理学者はこれを熱力学的平衡状態、あるいはエントロピー最大の状態と呼ぶ。 しかし、生命は、通常の無生物的な反応系がエントロピー最大の状態になるのよりもずっと長い時間、少なくともヒトの場合であれば何十年もの間、熱力学的平衡状態にはまり込んでしまうことがない。 その間にも、生命は成長し、自己を複製し、怪我や病気から回復し、さらに長く生き続ける。 つまり生命は、 「現に存在する秩序がその秩序自身を維持していく能力と秩序ある現象を新たに生み出す能力を持っている」 ということになる。 このようなことはどのようにして実現できるのだろうか。 シュレディンガーはこの疑問に対して具体的なメカニズムを示すことはできなかった。 しかし彼は次のように予言した。 
  生命には、これまで物理学が知っていた統計学的な法則とはまったく別の原理が存在しているに違いない。 しかしその仕組みは、生命力といった非物理学的な、超自然的なものではない。 それはわれわれがまだ知らない新しい 「仕掛け」 であるが、それもまたわかってみれば物理学的な原理にしたがうものであるはずだ。 
  シュレディンガーは、生命が、エントロピー増大の法則に抗して、秩序を構築できる方法のひとつとして、 「負のエントロピー」 という概念を提示した。 エントロピーがランダムさの尺度であるなら、負のエントロピーはランダムさの逆、つまり 「秩序」 そのものである。 
福岡伸一 『生物と無生物のあいだ』





検索用kwd:
posted by Vigorous at 21:32| 自然科学、環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ



注意
◆ このブログの内容は引用が中心ですが、知識の切り売りを目的としたものではなく、投稿者の備忘録として作成されています。皆さんは、ここに書かれた引用のみで満足することなく、なるべく原典に触れる習慣をつけてください。
◆ このブログでは、投稿者が独自に調査したデータや、知人から伝え聞いたエピソードなどが掲載されることがありますが、そのまま受け売りにせず、皆さん自身が事実関係を調査し、記事の真偽を見極めることができるように努力してください。
◆ ここは金言や名言を羅列することを目的にしたサイトではありません。どんな金言や名言も、羅列したとたんにただの展示物になってしまいます。長い引用も短い引用も、じっくり噛み締めて味わい、あなたの財産にしてください。アーカイブも一度にすべて読むのではなく、毎日少しずつ読むようにすると良いでしょう。



QRコード

リンク集
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。