2009年08月21日

No.492 『現象学的還元』

   薄暗がりの中に白い紙がある、としよう。 私はこの紙の部分部分を見たり触ったり、することで、はじめはっきりしないこの紙の全体のありようを、徐々にたしかめていく。 つまり、一枚の紙を具体的体験として 「知覚」 していく。 こういう、 「部分部分を確かめつつ進むという体験」 を 「コギタチオ」 とか 「意識体験」 と呼んでおく。 
  「コギタチオ」 は個々別々で、多様性がある。 その体験の中で、 「一枚の紙そのもの」 全体としての、同一のものとしての 「紙そのもの」 は、 「コギターツム」 と呼ぶことにする。 いま、この 「紙」 を知覚している、としよう。 この 「知覚」 という体験には、まず 「注意を向けること」 (「配意すること」) がある。 それからさらに、知覚される対象は、どれも必ず 「経験の背景」 をもっていることが分かる。 「紙」 の周囲には必ず、本とかペンとか机とか、その他の対象が広がって見えている。 それらもある仕方で私に 「知覚」 されている。 私が 「紙」 に配意している間は、それらは現出してはいたが、明瞭には意識されていなかった。 つまり、それらはいわば 「背景直観 (背景眺望) の庭」 として、 「紙」 の知覚の背後にあった。 それらは不明瞭ではあったが、まったく意識になかったというわけでもない。 その意味ではこの 「背景直観」 も一つの 「意識体験」 といえる。 

  整理し直してみます。 
  @コギタチオ−コギタツムという構造がある。 
  A「中心対象」 と 「背景野」 という構造がある。 
  B注意、配意という主体的な中心点がある。 

  この取出しが意味しているのは次のことです。 すなわち、フッサールが 「意識の本質」 を把握せよと言うとき、それはつまり、意識体験において誰にとっても 「共通項」 として取り出しうる事がらを記述せよ、ということを意味しているのです。 
  「現象学的還元」 は、 「私の意識」 に生じている体験のありようから、誰にとっても必ず生じているはずだと考えられるもの、すなわち共通項と考えられるものを 「抽出する」 作業、それが還元なのです。 
  一体何のために 「還元」 を行うのか。 ここが現象学理解のもう一つの山場です。 私の考えを言えば、 「確信成立の条件と構造」 を解明するため、というのが、その答えです。 
竹田青嗣 『現象学は《思考の原理》である』





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posted by Vigorous at 22:54| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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