2009年08月11日

No.0483 『本質学』

   自然科学のほうはめざましい進歩を続けていたが、 「人文諸科学」 のほうが問題だった。 つまり、歴史学、心理学、経済学、社会学といった学問で等しく起こったことは、一つの分野でさまざまな異なった考えが対立して決着がつかず、しかも、どう考えればこの対立を解決できるのかまったく先が見えない、という状態が現れたからだ。 フッサールは次のような考えを提示する。 
  現代の学問がそのような袋小路に陥っていることを理解するためには 「事実学」 と 「本質学」 という概念をおくとよい。 「事実学」 とは事実のありようを究明する方法で、自然科学の方法がこれにあたる。 では、 「本質学」 とはどういうことだろうか。 
  歴史を理解することの本質は、われわれの時間的あり方の自己了解だった。 過去に起こったことは無数にあるが、それらの 「出来事」 を手がかりに自分たちのあり方を解釈し了解しようとするのだ。 同じように、社会を理解するとは、われわれが自分自身を取り囲んでいる関係の意味を自己了解することだ。 社会の中の無数の出来事を手がかりに、それが自分たちにとってどのような関係と意味を持っているのかを解釈し理解することである。 要するに、心も、歴史も、社会も、事実の集積ではまったくないし、まして事実そのものの認識ではありえないのだ。 それは自然事物とは違う独自の 「本質」 をもっており、この 「本質」 をとらえないといけない、だから人間や社会についての知は、 「本質学」 でなければならないのである。 
竹田青嗣 『哲学ってなんだ』





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posted by Vigorous at 20:27| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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