2009年08月08日

No.0480 『 「作為」 の論理』

   「作為」 という言葉は、もちろん簡単な意味ですけれども、ちょっと気をつけなくてはいけない。 つまり、作為というものが可能であるための条件があるんです。 作為の論理は、自己の内部で二重の立場が重層しており、そのことによって、自己が主体化していることが、成立のための条件となるのです。 
  まず、経験的な事実の水準がある。 それが 「自然」 の水準にあたります。 作為の論理が可能であるためには、こうした自己の事実性に対して選択的にかかわる他者の視点、他者の立場が、自己自身に内部化していることが必要なんです。 作為とは、この自己に内部化している他者の立場から、自己の事実性を制御することですから。 このような、他者の視点に準拠するからこそ、作為の論理は、 「自然」 との緊張関係に入り、ときに 「自然」 と逆立するわけです。 
大澤真幸 『戦後の思想空間』





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posted by Vigorous at 19:51| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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