2009年08月07日

No.0479 『空間と持続』

   いつも乗るバスに遅れてしまった気持ちと、遠くに行く親友と別れなければならない時の気持ちとを、同じ軸にならべられるでしょうか。 バスに乗り遅れたがっかり感を大きくすれば、別れの気持ちになるでしょうか。 別れの気持ちを弱めていけば、がっかり感になるでしょうか。 だいたい、 「大きくする・弱める」 っというのが意味不明です。 つまり、もともとそれらは同じ 「悲しみ」 としてくくられるはずのない質やニュアンスをそなえた、それぞれ独自のものだったのです。 それをあえてくくった上で同じ軸の上で比べて、あたかも空間に引かれた一本の数直線上での量的な 「大小」 だけで区別できるように思うとき、私たちはすでに 「空間の中で考えて」 います。 ベルクソンは 『時間と自由』 の第一章で、私たちのさまざまな心理状態を順に取り上げつつ、それらが 「一般的な名詞や形容詞」 プラス 「大小 (強弱) 」 としてありのままに描けるものではないことを事細かに示しています。 
  「空間の中でものを考えている」 という言葉には、また別の意味もあります。 それは、物事をはっきりと区別して、数えられるような 「要素」 の集まりとして捉える、ということです。 
  ピアノ曲の楽譜を考えてみましょう。 そこにはすべての音が、最後の小節まで、すでに記録されています。 ところがそれを時間の中であらためて演奏すれば必ず新しい何かが生じます。 空間の中に並べれられて見通せたはずの音符は、時間の中に戻されると、それまで見たり聞いたりしたことのない経験を私に与え、思いがけない新しさを私に与えることができるのです。 
  ベルクソンと言えば、 「純粋持続」 という言葉が有名です。 この 「持続」 というのは、動かない 「空間」 とはまったく異なる、具体的な 「時間」 の継続のことです。 ノートや楽譜や年表なら、私はそれらを動かない風景のように外から見渡すこともできるでしょう。 先回りだってできるでしょう。 対して 「持続」 とは、私が内側から徐々に経験していくしかない時間のことです。 私たちは誰もが、刻々と、この自分だけの 「持続」 を歩んでいます。 そして誰も代わりになれず、早回しも一時停止もなしに、この 「持続」 の中で、ありきたりの言葉などにしようのない微妙なニュアンスの変化が、私を染めていきます。 その中で、他の誰でもない私自身の感じ方、考え方、振る舞い方が形成されていきます。 今この時にも、それは進行中なのです。 私が生きているというのは、それ以外のことではありません。 (中略) 
  『時間と自由』 第一章は、私たちの心理的な状態は、どれをとっても 「量」 では表せず、計算しようのない 「質」 であることを述べようとしています。 第二章では、私たちがものごとを 「数」 や 「量」 で捉える時には必ずものごとを 「空間」 の中にあるがごときに捉えてしまっていること、しかし実際には、私たちの心は 「空間」 ではなく 「持続」 の中にあることを強調しています。 
左近司祥子編 杉山直樹著 『西洋哲学の10冊』





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posted by Vigorous at 21:24| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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