2009年08月02日

No.0474 『自由の強制』

   監視は、今や、自由を制限する以上に、自由を奨励している。 自由の奨励は、しかし、自由にとって、制限よりももっと大きな脅威である。 セックスのような私的行為が快楽をもたらすのは、それが禁止されたり制限されたりするからでもあろう。 われわれは、監視の眼を逃れて、 「それ」 を楽しんできた。 だが、もし、 「どんどんセックスしなさい」 と親や両親が若者に命令したとしたらどうなるか。 セックスから快楽が消え去ってしまうだろう。 
  フーコーのパノプティコンの監視者は、何を禁止しているかはっきりしないが、その存在の確実性によって、実質的には何かの禁止として機能する。 そして、人を、規律訓練し、従順な主体へと成型する。 このとき、監視は、まだ自由への制限として機能している。 だが、この後にやってくる、もう一つの第三者の審級がある。 それは、自由を触発し、強制する。 だが、まさにそのことでかえって、自由は萎えるのである。 
大澤真幸 『不可能性の時代』





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posted by Vigorous at 15:32| 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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