2009年06月16日

No.0430 『日本人を蝕む思考停止』

   「法令」 に基づく 「司法的解決」 は、社会の中心部で起きる問題に関して中心的な機能を果たしてきたのではなく、その機能は、基本的に、市民とはあまり馴染みのない社会の周辺部分、つまり、非日常の世界に限られていました。 刑事司法の機能は、、ふつうの人はやらないような特別に悪いことをする異端者、逸脱者を社会から排除することであり、民事司法の機能というのは、この社会の中の普通の人が普通に起こすトラブルではなくて、感情的ないがみ合いとか近親憎悪的なトラブルというような、普通の手段ではなかなか解決できないような特別な争いごとを解決することでした。 そういう司法的な解決が行われる世界というのは、新聞やテレビだけで目にする非日常的な世界で、市民生活とは直接関係のないものだったのです。 
  ところが、2000年前後から経済構造改革が進められ、経済活動の自由化の一方で、ルールの徹底が強調されるようになって、状況が大きく変わってきました。 従来は社会の周辺部でしか機能していなかった法令が、社会の中心部に向かってどんどん攻め込んできました。 そうなると、法令の内容やその運用が市民活動や経済活動の実態に適合しているかどうかに市民が関心を持って、より適合するように法令を使いこなしていく、という市民参加型の司法や法令の運用に変えていく必要があります。 ところが、法令に対する日本人の姿勢はなかなか変わりません。 法令が出てくると、水戸黄門の印籠に対するのと同様に、その場にひれ伏し、何も考えないで 「遵守」 するという姿勢を続けているのです。 
  法令が印籠だとすると、本来、印籠を出す立場にあるのは、司法判断を下す裁判所のはずなのですが、法令上は何の権限もないマスコミが、 「違法」 のみならず、 「偽装」 「隠蔽」 「改ざん」 「捏造」 などのレッテル付けをして、 「印籠」 を出すということも多くなっています。 このような、にわか 「助さん」 「格さん」 が出す印籠に対しても、人々は何も考えないで、ただただひれ伏して従うという態度をとり続けています。 
  こうして日本人全体が陥っている思考停止が、今、日本の社会を大きく蝕んでいます。 物事が単純化され、本質が見失われ、画一的な評価が行われることで、日本の社会に生じる矛盾、弊害はどんどん大きくなり、国の、そして、社会全体のパワーが確実に低下しています。 
郷原信郎 『思考停止社会』





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posted by Vigorous at 21:06| 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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