2009年06月08日

No.0424 『リスク社会で採られる極端な選択』

   リスク社会は、古代ギリシャ以来の倫理の基本を否定してしまう。 どういうことか? アリストテレスが述べたことは、美徳は中庸の内にある、ということだった。 だが、リスク社会のリスクを回避するためには、中庸の選択は無意味である。 中庸が最も価値が低く、選択は両端のいずれかでなければならない。 たとえば、地球の温暖化を避けるべく、二酸化炭素の排出量を下げる (石油の使用を抑制する) べきかどうか、問題だとしよう。 このままでは地球は温暖化するのだとすれば、われわれは、二酸化炭素の排出量を大幅に下げなくてはならない。 だが、逆に、温暖化はまったくの杞憂なのかもしれない。 その場合には、われわれは今のまま、石油を使用し続けてもかまわない。 確率論が示唆する選択肢は、両者の中間を採って、中途半端に石油の使用量を減らすことだが、それこそ、最も愚かな選択肢である。 もし温暖化するのだとすれば、その程度の制限では効果がないし、また温暖化しないのだとすれば、何のために石油の使用を我慢しているのか分からない。 結果が分からなくても、結果に関して明白な確信をもつことができなくても、われわれは両極のいずれかを選択しなくてはならないのである。 
  さらに、こうした態勢は、民主主義的な決定の基盤を切り崩すことになる。 政治的な意志決定に、民主主義が採用されるのは、何が真理なのか、何が正義なのか誰にも分からないからである。 こうした状況で、民主的な決定は、多様に分散する諸意見の中から、多数派の見解が集中する平均・中間を真理を真理や正義の代用品として用いるのだ。 だが、述べてきたように、リスクへの対応においては、平均や中間は無意味である。 半数前後の者が反対する極端な選択肢を採らなくてはならないのだ。 
大澤真幸 『不可能性の時代』





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posted by Vigorous at 21:50| 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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