2009年05月07日

No.0398 『形而上学と「純粋理性批判」』

   形而上学とは、いささか難しく響きますが、究極の 「なぜ」 を求めて極限に迫ろうとし、否応なしに経験の世界を超えてゆく学問のことです。 究極、すなわち極限に迫る。 理性はもともとそのような 「素質」 を持っているのです。 
  誰しもたとえば、
  @人間の魂は死後どうなるのだろうか
  A世界は有限なのだろうか、それとも無限なのだろうか
  B神は存在するのだろうか、それとも存在しないのだろうか
と思いをめぐらせたことがあるはずです。 誰しも、ふとそのように思いをめぐらせることが、すでに究極の 「なぜ」 をめぐる 「素質としての形而上学」 なのです。 「素質としての形而上学」 は、混乱と争いの状態を脱却するために、未来の学問、すなわち 「学問としての形而上学」 となるための努力をしなければなりません。 そのための最初の手続きが 『純粋理性批判』 に他なりません。 
左近司祥子編 『西洋哲学の10冊』





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posted by Vigorous at 22:13| 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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