2009年05月04日

No.0396 『歴史の終り』

   冷戦時、東西両陣営ともに先制核攻撃を加えなかったのはなぜなのか?  敵の指導者が合理的な主体であるかどうか不確実だからだ。 ブッシュ・ドクトリンの 「先制防衛」 という発想の中で消え去ったのは、この不確実性に対する感受性である。 先制攻撃しても防衛であると解釈することができるのは、初めから、敵が攻撃してくることが確実だと見なされているからだ。 つまり、相手が狂気であるということは確実だ、と感じられているのだ。 確実である以上は、それを全面的に制御しようというわけである。 
  不確実性、原理的に解消しえない不確実性こそ、他者の他者たる所以、他者の本性ではないだろうか。 不確実性に対する感受性を喪失しているということは、したがって、他者が他者として存在していること、そのこと自体が、耐え難いということを意味している。 
  このとき出現する世界は、どんな様相を呈することになるのだろうか。 冷戦期にわれわれは、世界を破滅に追いやる最終戦争を恐怖した。 しかし、それは、常に、それこそ不確実な可能性にとどまり続けた。 最終戦争は、決して始まらなかったのである。 
  われわれが、今、気づいたことは、 「歴史の終わり」 が終ったということである。 9.11テロは、歴史の終わりがすでに終っていたことを知らせる警鐘であった。 気がついたとき、われわれは、 「テロへの戦争」 にコミットしている。 それは、原理的に終らない戦争である。 それは、究極的には、他者一般の排除へと指向しているからである。 
  始まらない最終戦争の代わりに得たものは、終らない最終戦争だったのだ。 
大澤真幸 『逆接の民主主義』





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