2009年03月14日

No.0334 『哲学の取っ掛かり』

   哲学のもって回った難解な文章は、どうしてもうまく自分の中に入ってこなかったが、それでもどこか気にかかっていた。 哲学は、もしこの難解さを克服できたら、そこから輝かしい 「真理」 をつかみ出すことができるのではないか、という気持ちをかき立てるものだった。 
  ところがある日、ちょっとした事件が起こった。 私は高円寺の古本屋で、フッサールの 『現象学の理念』 を見つけた。 現象学という名前は気になっていて、解説書などを読んでも、どうもよく正体が分からなかったのだが、思い切って購入し、読んでみた。 そしてこれは、まさに大当たりだった。 
  自分は社会的には無価値な人間である。 でも自分は世界や人間のことについてはそれなりに深い考えをもっている、とか、世の中の人は社会や歴史がかくかくの仕方で存在していることなどまったく何も知らないまま生きている。 とか、私が考える。 するとそのたびに、 「という考えもまた、多くの考えのうちの一つの考えにすぎない」 とか、また、 「といったいろんな考えを抱えて人はそれぞれ生き、結局はみな死んでしまうだけだ」 といった考えが浮かんでくる。 この自分の中のもう一つの声は、ひどく自分をうちのめすものだった。 
私は  この経験の中で、人間の 「世界像」 というものは必ず各人それぞれのものであり、したがってそれが 「正しいか正しくないか」 が問題なのではなく、その世界像がほかならぬその人の生きるということにとって持っている 「意味」 こそが重要なのだ、ということを少しずつ感じ取っていった。 現象学が教えるいちばん大事な核心もそういう問題にかかわっており、だからわたしはうまく現象学に 「衝突」 することができたのである。 
  ふしぎなことに、現象学の方法の核心が理解できると、それまでいくら読んでも分からなかった他の哲学者たちの問題設定やその答えの形が、どんどん理解できるようになっていった。 私が自分自身のコンパスをもって哲学の森の奥深くに足を踏み入れるようになったのは、それからである。 
竹田青嗣 『哲学ってなんだ』





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posted by Vigorous at 18:04 | TrackBack(0) | 哲学・宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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