2009年03月07日

No.0320 『危険抜きの××』

   われわれは、欲望のより一層の徹底、より一層の純粋化の中を生きているようにも見える。 われわれの安全性への欲求は、現実を虚構化すること、現実を虚構へと近づけることではないだろうか。 たとえば、 「セーフティセックス」 というものを考えてみよ。 エイズの心配も、性病の心配もなく、心臓への負担を初めとする健康への危険性もまったくないセックス、ただのセックスのよい面、セックスの快楽の部分だけを純粋に抽出したセックス、これこそがセーフティセックスの目指すものだろう。 だが、このようにしてセックスの危険な側面を完全に除去したとすれば、われわれは、同時に、セックスの極限的な快楽、セックスの興奮をも失うに違いない。 セックスが人を興奮させるのは、それが、死を垣間見せるような暴力性、危険性と接しているからである。 結局、セーフティセックスは、セックスをセックスたらしめていた本性を抜き去ったセックス、セックスを 「現実」 たらしめていた何かを失ったセックスになるはずだ。 それは、ほとんど虚構の中のセックスと変らない。 実際、究極のセーフティセックスは仮想現実の中でセックスを体験することだ。 それは、たとえば 「エロゲー」 「ギャルゲー」 あるいは 「美少女ゲーム」 等という名で呼ばれている、 「危険抜きの恋愛」 「恋愛抜きの恋愛」 のゲームの形で、実際に具体化されてもいる。 
  これに類する現象は、現在、われわれの身の回りにいくらでもある。 すなわち、危険や害悪をもたらす要素を抜き去って、快楽をもたらす要素だけを分離したと見なされているさまざまな製品に、われわれは囲まれている。 「カフェイン抜きのコーヒー、ノンアルコールのビール、脂肪抜きのクリームやミルク・・・・・。 こうした系列の極限には、麻薬抜きの麻薬があるはずだ。 そして、実際、ある。 大麻がそれだ。 大麻の解禁を求める世界的な運動があるが、その主張するところは、要するに、大麻は危険ではないということである。 
  こうした 「危険抜きの××」 は、それを 「現実」 たらしめていたものを抜き去られており、そのことで、言ってみればカプセル入りの虚構のようなものへと変貌してしまっているのだ。 
大澤真幸 『不可能性の時代』





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