2009年03月06日

No.0318 『公正に評価できるのは「点数」である』

   そもそも「ゆとり教育」は、受験競争を緩和するという趣旨で導入されました。 しかし現実には、受験競争はゆとり教育が必要なほど苛酷ではありません。 
  一方では受験の低年齢化が進み、中学受験の競争が激しくなっています。 これは、子供に受験で将来苦労させたくないという動機からでしょう。 早く私立の一貫校に入れてしまえば、余計な受験をしないで済むというわけです。 
  つまり、早い時期にできるだけいいポジションにつくことで、子供に無理をさせたくない、という親心があるわけです。 中学、高校、大学と受験を経験させて子供を鍛えようという発想ではありません。 
  じつは、親自身も競争社会に対して脅えを持っています。 いよいよ富の分配の不平等が現実に起きている以上、「勝ち組」に入らなければ苦労するという、追い立てられるような恐怖感がある。 だから、教育にも早く手をつけなければならないという意識に駆られているわけです。 
  さほど受験勉強をしなくても大学に入るルートが確立しつつあります。 通常の試験意外に、自己推薦という形の小論文と面談だけの入試(OA入試)も、一般的になりました。 入試の多様化に伴って、厳正な競争がどんどん曖昧になってきているのです。 
  この背景には、教育学者をはじめとして社会全般に広まった、「学力は点数では測れない」 という "迷信" の影響があります。 これは一見もっとものような気もしますが、実は非常に不公正になる危険性があります。 公正さを保つには、学力を点数で測ったほうがいい。 教科の実力ほど点数で測れるものはないのです。 本当は英語が得意なのに試験になると点数が悪いとか、逆に数学の実力はないのに試験の得点だけが高いといったことは、ほとんどありません。 にもかかわらず、それを素直に認めない風潮がある。 その理由を簡単にいえば、平等至上主義の教育学者によって、はっきり査定することへの恐怖感が声高に叫ばれたからです。  (中略) 
  教科の内容には意味があるはずだから、そのカリキュラムに沿ってつくられたテストの点数が高ければ、その教科が身についていると評価できます。 それを評価しないということは、すべてを否定することにつながります。 むしろ点数自体をまるで悪とみなしたり、偏差値という言葉を蔑んだりするのは、ある種の弱さの裏返しです。 こうして現実と向かい合うことを拒否するメンタリティや、長く全国統一試験を拒否して来たという事実には、まさに昨今の教育界が抱える問題があぶりだされているといえるでしょう。 
齋藤孝 『なぜ日本人は学ばなくなったのか』





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posted by Vigorous at 23:47 | TrackBack(0) | 教育、心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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