2009年03月06日

No.0317 『東京ディズニーランド』

   虚構の時代を代表する現象を一つ挙げるとすれば、東京ディズニーランドであろう。 ディズニーランドは純化され、ほとんど自律した虚構の空間と化している。 
  ディズニーランドの空間構成に関して、まず注目される事実は、外的あるいは内的な現実からの隔離の徹底ぶりである。 ディズニーランドの周囲には、非常に広い緩衝帯が用意されている。 敷地に到達してから、ディズニーランドそのものに入場するためには、相当な距離があるのだ。 一度、ディズニーランドの内側に入ってしまえば、外側をほとんど見ることができないように工夫されている。 逆に、外側から内側を見ることも、ほとんど不可能だ。 このように、ディズニーランドは、外的現実から、物理的に切り離されている。 
  と、同時に、外的現実からの意味的な分離とも呼ぶべきものが、自然と果たされるような、さまざまな仕組みが凝らされている。 すなわち、入場者は、自然と、外的現実と自分を結びつけているさまざまな物を次々と放棄せざるをえないのだ。 放棄されるものは、第一に、自動車である。 第二に、貨幣である。 ディズニーランドでは、アトラクションは、入場に際して買ったチケットで利用するようになっており、貨幣を使わなければならない場面は限られている。 第三に、食事である。 ディズニーランドに弁当を持ち込むことが禁止されていたのは、それが、外部の現実を、たとえば現実の家族生活を連想させずにはおかないからである。 
  ディズニーランドのアトラクションは、内的現実からも巧妙に分離されている。 すなわち、ショーやアトラクションを支える裏方が、入場者たちの目に入ることがないように、きわめて慎重な配慮がなされているのだ。 たとえば、建物のほとんどが、ディズニーランドの中心の方に正面を向けて建てられており、遊んでいる観客からはバックステージが見えないようになっている。 ディズニーランドには、ゴミ箱がなく、ゴミを拾うスタッフは、 「キャスト」 と呼ばれ、おしゃれなコスチュームを着て、清掃自体を軽快に、まるでショーのようにこなす。 こうした、ディズニーランドに入ってしまった観客が、この虚構の空間の中で、現実の断片に触れることはほとんどない。 
大澤真幸 『不可能性の時代』





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posted by Vigorous at 23:47 | TrackBack(0) | 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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