2009年02月20日

No.0290 『虚構の時代の次は?』

   戦後という一つの時代を、現実を意味づけている中心的な反現実のモードを規準にして眺めたとき、見田宗介によれば、その反現実のモードは、 「理想→夢→虚構」 と遷移してきた。 すなわち、戦後は、さらに 「理想の時代」 「夢の時代」 「虚構の時代」 の三つに内部区分できる、というのだ。 
  「反現実」 は、 「理想→夢→虚構」 と順に、反現実の度合いを高めてきた、ということはできる。 
  こうした傾向を前提にした場合には、理解しがたいような逆転現象を目の当たりにしている。 「現実」 への逃避とでも呼びたくなるような現象が、広く見られるのだ。 ただし、この場合の「現実」とは、通常の現実ではない。 それは、現実以上に現実的なもの、現実の中の現実、 「これこそまさに現実!」 と見なしたくなるような現実である。 すなわち、極度に暴力的であったり、激しかったりする現実へと逃避している。 と解したくなるような現象が、さまざまな場面に見られるのだ。 もっともシンプルな例は、リストカットに代表される自傷行為の流行である。 自らの身体の上に生起する直接の痛みは、どんな現実よりも現実らしく、現実を現実たらしめているエッセンスを純化させたものだと言ってよいだろう。 
  東浩紀は、 「理想の時代から虚構の時代へ」 という戦後史の転換に関する私の論を受けて、虚構の時代にあとに 「動物の時代」 と彼が名づけた新しい段階がやってきている、と論じている。 このとき注目されていることのひとつは、やはり、 「現実」 への逃避である。 東によれば、オタクたちは、ほとんど麻薬中毒者を連想させるようなやり方で、ゲームやアニメにはまる。 彼らが求めているのは、ほとんど虚構の意味の理解を媒介としない、神経系を直接に刺激するような強烈さである。 それは、自傷行為へのアディクションに似ている。 ここには、将来テクノロジーが発達すれば、自傷の変りに、ニューロンに直接強い刺激を与えることに耽るアディクションが出てくるかもしれない、と思わせるものがある。 人間は、神経系を備えた生理的身体として、つまりは動物としてのみ生きている、というわけである。 
大澤真幸 『不可能性の時代』





検索用kwd:
posted by Vigorous at 21:29 | TrackBack(0) | 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック
カテゴリ



注意
◆ このブログの内容は引用が中心ですが、知識の切り売りを目的としたものではなく、投稿者の備忘録として作成されています。皆さんは、ここに書かれた引用のみで満足することなく、なるべく原典に触れる習慣をつけてください。
◆ このブログでは、投稿者が独自に調査したデータや、知人から伝え聞いたエピソードなどが掲載されることがありますが、そのまま受け売りにせず、皆さん自身が事実関係を調査し、記事の真偽を見極めることができるように努力してください。
◆ ここは金言や名言を羅列することを目的にしたサイトではありません。どんな金言や名言も、羅列したとたんにただの展示物になってしまいます。長い引用も短い引用も、じっくり噛み締めて味わい、あなたの財産にしてください。アーカイブも一度にすべて読むのではなく、毎日少しずつ読むようにすると良いでしょう。



QRコード

リンク集
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。