2008年12月05日

No.0133 『自律とは』

   自由というのは、「自己決定できること」です。 少し専門的な言い方をすると、これを「自律」といいます。 これが、苦しくてもおだやかでいられるための大事な支えだと私は思っています。 これに対して、「他律」というものは、自分で選べないということです。 身分が固定化されていた時代には、男性にだって職業選択の自由そのものがありませんでした。 これは、社会が成熟していないと、自由は一部の特権階級の人しか持てないからです。 でも、社会が未成熟なときは、人々も「そんなものだ」と思っていますから、自由がなくてもそれほど苦痛ではないのです。
  社会が成熟すると、自由は拡大します。 職業を選ぶ自由にしても、教育を受ける自由にしても、選択肢が広がるわけです。 このように、自由は広がっていくわけです。 と同時に、それに比例するように、「他の人は自由なのに、自分は自由ではない」 ことの苦痛も、大きくなっていくわけです。  (中略)
  「ジリツ」を漢字で書くと、「自立」と「自律」の二種類があります。 自分で何かかできるのが「自立」です。 ところが、終末医療の患者さんの自分でできなくなります。 自分で立てなくなるわけですから。 歩けなくなり、だんだん食事もできなくなり、眠っている時間が増えて、やがてお迎えが来るのです。 このように、健康を損なうことで、やがてできなくなるのが「自立」です。 しかし「自律」のほうは最後までできます。 「自律」は、さまざまある選択肢の中から、自分で選ぶことができるということだからです。 「選ぶことができるようにする」ことが援助になります。 医療の現場の例でいえば、歩くことが難しくなり、トイレまで歩けなくなったとします。 元気なときは自分の行きたい時に、誰にも邪魔されずにトイレに行けたのに、病気をすると自分で行けなくなります。 これは「自立」を失うわけです。 ところが「自律」の場合は、さまざまな排泄方法という選択肢の中で、どういう方法にするかを選ぶことができるわけです。 昼間は車椅子で看護師さんに連れていってもらい、夜はポータブルトイレにするとか、排泄の方法を自分で選ぶことができるという意味では、自立は失っても自律は最後まで失わずにすむのです。
  大事なことは、子どもでも大人でも、お年寄りでも、一人の人間として生活する中で、 「選ぶことができる」 ということを、援助として考えていくということです。 「もう動けないからオムツですね」というふうに勝手に決めつけてはいけないのです。
小澤竹俊 『いのちはなぜ大切なのか』





検索用kwd:終末医療
posted by Vigorous at 21:22| 教育、心理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ



注意
◆ このブログの内容は引用が中心ですが、知識の切り売りを目的としたものではなく、投稿者の備忘録として作成されています。皆さんは、ここに書かれた引用のみで満足することなく、なるべく原典に触れる習慣をつけてください。
◆ このブログでは、投稿者が独自に調査したデータや、知人から伝え聞いたエピソードなどが掲載されることがありますが、そのまま受け売りにせず、皆さん自身が事実関係を調査し、記事の真偽を見極めることができるように努力してください。
◆ ここは金言や名言を羅列することを目的にしたサイトではありません。どんな金言や名言も、羅列したとたんにただの展示物になってしまいます。長い引用も短い引用も、じっくり噛み締めて味わい、あなたの財産にしてください。アーカイブも一度にすべて読むのではなく、毎日少しずつ読むようにすると良いでしょう。



QRコード

リンク集
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。