2008年12月04日

No.0131 『ステレオタイプE』

   よりいっそう公平無私な心象を求めようとするときに、我々はステレオタイプに固執してしまうことがきわめてめて多い。 なぜか。 労力の節約というほかに、もう一つの理由がある。 ステレオタイプの体系は我々の個人的習慣の核ともなり、社会における我々の地位を保全する防御ともなっているからだ。 ステレオタイプの体系は、秩序正しい、ともかく矛盾のない世界像であり、我々の習慣、趣味、能力、慰め、希望はそれに適応してきた。 それはこの世界を完全に描ききってはいないかもしれないが、一つのあり得る世界を描いており、我々はそれに順応している。 そうした世界では、人も物も納得のいく場所を占め、期待通りのことをする。 この世界にいれば安心で違和感がない。 我々はその世界の一部なのだ。 我々は周囲の状況を知っている。 そこで馴染みのもの、正常なもの、頼れるものがいかに魅力的であることか。 そこでは、慣例も様式も、見慣れたところにある。  (中略) こうした状況であるから、ちょっとでもステレオタイプに混乱が生じると、宇宙の基盤が襲撃されたように思えるのも不思議なことではない。 しかし、そこで襲われているのは我々の頭にある宇宙像の基盤である。 大事がかかっている場合、我々は頭にある宇宙像と現実の宇宙の間にある差異をまったく認めようとしないのである。 我々が栄誉と思うものが実は値打ちがなく、我々の軽蔑するものが尊しとされるような世界ではどんなに神経が痛むだろう。 我々がこれしかないと認めている優先順位が実はそうではないとされるならば、どんな混乱が起きるだろう。  (中略)
  ステレオタイプは、盛んで騒々しい現実という巨大な混乱状態に代わる秩序を提供する一手段というだけではない。 簡便な一方法というだけのものでもない。 こうしたすべてを兼ねていると同時に、それ以上のものでさえある。 我々の自尊心を保障するものであり、自分自身の価値、地位、権利についてわれわれがどう感じているかを現実の世界に投射したものである。 したがってステレオタイプには、ステレオタイプに付属するさまざまの感情がいっぱいにこめられている。 それは我々の伝統を守る砦であり、われわれはその防御の陰にあってこそ、自分の占めている地位にあって安泰であるという感じを持ち続けることができる。
Walter Lippmann 『Public Opinion』
リップマン 『世論』





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posted by Vigorous at 22:15| 社会学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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