2008年11月03日

No.0034 『愛とは』

   よく言われる愛とは、往々にして自分自身を愛するための愛でしかない。それは自己の愛する対象を所有したいという感情に、ほぼ完全に依拠した感覚である。この人、この物は私のもの、あるいは私のものであるはず、というような。
  こうした愛は、自分の欲望をより大きくしようとする、あるいは、自分の欲望を充足させようとする感情から起こっている。非常にしばしば、これらの感情は、その愛の対象となったものへの顧慮、思いやりを欠いている。(中略) 
  もし、自分をも愛してくれていると考えていた愛する対象が、そりの態度を変えたり、振る舞いに愛の終わりを匂わせたりしたなら、あるいは、求愛を撥ねつけたり、自分の期待に背くような行動に出たりしたなら、このときには一体どうなるか。自己の欲望を満足させようとする期待が裏切られたならどうなるか。こうした愛は、いとも速やかに憎しみへと変容する。
  なぜこうした愛は憎しみへと変容するのか。それはこの種の愛が《我》の上に打ち立てられているからだ。「私」が愛するからだ。それが理由のすべてである。「『私』はどうすれば彼女、あるいは彼の肉体を、心を所有できるか。『私』の欲望はどうすれば満たされるか。」《我》があってそこには《他》がない。他者は「私」の、いわゆる愛のために存在するにすぎない。
 ダライ=ラマ 『死の謎を説く』






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