2008年11月02日

No.0019 『世評に対する怯え』

  世評というものは、世評に無関心な人々よりも、はっきりと世評を恐がっている人々に対して、常に一層暴虐である。(中略)集団を恐がっている様子を示せば、あなたは絶好の餌食になる。一方、無関心でいるなら、集団は自分の力を疑い始め、ために、あなたのことを構わないでいてくれる見込みがある。私が考えているのは、もちろん、極端に挑戦的な態度ではない。(中略)挑戦的にではなく、自然流露的にやるならば、この上もなく因習的な社会にあっても、大目に見られるようになる。次第に、天下御免の変わり者のお墨付きを与えられ、他の人がやったら絶対許せぬと考えられるような事柄でも、許されるようになる。これは多分に、ある種の人の良さと、人なつっこさの問題である。旧弊な人達が習慣からの逸脱に激怒するのは、主として、そういう逸脱は自分たちへの批評だと受けとめるからである。彼らにしても、ある人が十分に愉快で人なつっこくて、自分たちを批評しているのではないということが極めつきの馬鹿でもはっきり分かるような場合には、因習にとらわれない振る舞いの数々をも許すことだろう。しかしそうでない場合は、何とかして鋭い論争点を避けたとしても、共鳴していないために気持ちが落ち着かず、ために、争い好きな態度をとるようになる。自分の属している集団の習慣としっくりいってない人達は、そこで、とかく怒りっぽく、不安で、伸びやかな陽気さに欠けた人間になりやすい。
B.Russell 『幸福論』


posted by Vigorous at 00:16| 人間関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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